図書印刷専用線

JR東海道本線の原駅といえば駅に隣接していた秩父セメントへの専用線もありましたが沼津方に本線と
並行して続くヘロヘロの線路は廃線に興味の無い人でも電車内から見たという人がいそうなくらい「はっきり」
と線路が残っている専用線跡です。アップダウンも無く山間部に入ることも無く撮影はかなり楽でしたが・・・



JR原駅と図書印刷沼津工場の位置関係を航空写真で見たもの。そして赤いラインが廃線跡です。
この線は原駅から本線と並行したまま隣接している工場内へ入っていましたが1980年代に廃止となり
現在は線路は放置されており工場入り口部の道路も改良された為に線路は寸断されています。そのレポートです。



まずは原駅に到着です。晴れの東京都を出発したのにココは雨でした。色々とあったのですがソレは最後に。
駅は列車の本数が少ない割には広々としていて2面3線あります。かつての貨物扱いの名残かスペースがあります。
奥が東京方で図書印刷沼津工場も東京方に存在します。かつての秩父セメントは背面にありました。



駅横の踏切から見たものです。かつては線路は真っ直ぐに伸びていたのですね。
役割を終えた鉄路はかなしくもそのまま放置され民家の庭に吸い込まれています(コレが良いのだが) 。



民家の庭先は個人宅内なので撮影出来づ。線路が再び公道に出てきた所から。
こんな所で線路が分岐をしています。ここにある民家も貨物がお盛んだった頃は無かったのでしょう。



こんな感じの配線になっています。機関車の機廻しでもしていたのでしょうか。
それにしても線路横は普通の道路と化しています。このフリーさがよいです。



この機廻しをしていたであろう施設の全景。今では線路以外は何も無い。



JR本線と専用線との間に残る「エ」マーク。ということは図書印刷所有の線路ということなのでしょう。
この線路跡を駐車場とかに転用しない限りは永遠に残りそうですが市に返還とかしちゃうと消える可能性も。



線路は直ぐに1本に集約されて再び本線と並行する形で東に延びています。
この線路が現役で使われていた時は柵などがあったのか知りたい所です。



ほどなくして「東町踏切」に当たります。この部分はコンクリートに埋められており線路が確認できません。
それなりの交通量がある踏切です。線路は奥の空き地へ吸い込まれて行くことになります。



この空き地部分は流石に歩いていけないのですが奥を見ると線路は残っています。



線路の上を歩けないのですが迂回した団地の敷地から線路を見ることができました。



迂回をしていると「図書印刷沼津第二工場」が現れました。線路はココに入っていた訳ではありません。



工場をグルリと回って歩いていると「白隠踏切」に当たります。遮断機が降りたので狙っていると普通電車が
走って行きました。ここ東海道は昔ブートレインが沢山走ったんですがね・・・。



その白隠踏切から原駅方向を見てみます。草に埋もれながらも線路は続いています。



逆方向を向くとこの様な感じで綺麗に線路が延びています。遮断機の位置などは廃線後に変更されたのでしょう。
模型の見本とも成りえそうな廃線具合(草の生え方や線路の状態)に萌えてしまいます。



その先にズームインしてみると草のかたまりに線路が吸い込まれているのが判ります。



一度県道に戻り第二工場をグルッと周り込み再び線路へ近づく道を歩いていきます。それが写真の場所。



1本隣の道へ移動して「藤森踏切」へ出ました。この踏切部には線路は残っていません。
この踏切と1つ前の草むら部分は線路が剥がされてしまっている様です。



しかし踏切から印刷工場方面への線路はご覧の様に残っています。
東海道線の架線柱は廃線後に新たに建てられた物ですね・・・あれじゃ貨物が通れませんから。



藤森踏切の踏切上から見た廃線跡の様子です。奥のカーブの先がゴール地点です。



再び迂回をして「大塚本田踏切」へ到着。非常ボタンが完全に敷地内に。
写真は原駅方面を写しています。用地を広く確保していますが特に分岐していた様ではないみたいです。



この踏切以降はしっかり線路も続いておりゆったりカーブを描きながら本線に寄り添いながら東へ続きます。
個人宅の裏手を走りお墓もありますが専用線の方が古いのは明らかでしょうか。



会社の私有地だから仕方ないのでしょうが、道路になった方が住民的には嬉しいのかと思います。
ただし廃線ファンとしてはこの状態が(このギャップが)たまらないのも事実で・・・。



自宅の裏にこんなのがあったら、なんてね。ゆったりカーブを描いて工場はもぅ目の前という所。



逆から見た現場の様子。最後の方は線路は砂利に埋もれかけていました。



工場入り口付近で線路は若干首を右に振っています。



現状の末端部です。この塀の向こうが図書印刷沼津工場になる訳ですが、線路が現役の時は
もちろんこの様な形式では無くフラットに工場内に線路は伸びていました。



左は1960年代・右は1970年台の工場入り口部なのですがイマイチ分かりません。
恐らく専用のスイッチャーが居て荷物を引っ張って駅近くの機回しのある所でJRの機関車へバトンタッチ
していたのでは、と予想。工場内も大きく無く線路は2本程度ではなかったのでしょうか。

また図書印刷株式会社のサイトを見ると1954(昭和29)に沼津工場開設とあり線路もこの頃に敷かれたと予想。



こちらは原駅。悲劇は小田急線から起こる。

新宿駅から「特急あさぎり」に乗り込んだ時は快晴。しかし御殿場線に転線した頃から天気は曇りになり終点の
御殿場駅に着いた時には小雨が。そして御殿場から御殿場線に揺られ沼津駅へ、から乗り換えで原へ着いた時は
大雨になっていた。東京は晴れなので傘など持ってきている訳もなく・・・で思いついたのが駅で傘を借りようと思った次第。
しかし窓口に行くと有人になる時間が決まっていて現在は無人の時間。だけれどあと20分で人が来る時間だったし
帰りは沼津から特急「踊り子」で帰る為のチケットも買おうと思っていたので20分程待っていると・・・灯りが点いた!!。

廃線撮影したらいづれにせよ駅に帰ってくるので傘を貸して欲しい旨を尋ねると・・・なんと
「駅に傘は1本もありません」と返答が。おいおい駅に傘が無い訳ないじゃん、と思いながら切符だけ購入して
近くにコンビニがあればと思い駅から50m程離れた交差点に出て左右を見るもコンビニの看板が見えない。
道路工事の人にコンビニの位置を聞いて再び駅へ戻り1台だけ止まっていたタクシーでコンビニへ。以外と距離があったが
傘を購入し待っててもらったタクシーで駅に戻りそれをさして撮影に出た瞬間に雨が止むというね。

JR東海の「面倒くさいから対応しない」的な接客(絶対傘あるって)にウンザリしながら帰って行った。



最後に原駅の待合室のショウウインドウにはしっかりと「図書印刷」が。




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