姫路モノレール

> 姫路モノレールは「姫路〜手柄山」間の全長1.6Km程で1966年に開業、1974年に廃止になっています。
路線名は市が経営していた事から「姫路市営モノレール」という名称が本名の様です。

モノレールの開業した1966年は姫路市の手柄山で「姫路大博覧会」が行われており、同線はこの会場への輸送目的で
施設されています。しかし博覧会終了後はピタリと客足が耐え大赤字に、たった8年で廃止となりました。
モノレールは途中に「大将軍駅」が有りますが全長1.6Km程、そのほとんどの区間に橋桁が残されていますが
2016年9月より大将軍駅の入っているアパートの解体が発表され今後全てに於いて撤去される事もあるかもしれません。




現行地図に路線を書き込んでみました。こう見ると確かに意味の無い路線です。



既にモノレールの走っていた面影がなくなっている姫路駅周辺ですが写真は大将軍駅近くより
姫路方を撮影したものです。奥に写っている高架橋は山陽電鉄のもの。かつての写真を見るとモノレールは
山陽電鉄を跨ぐ様に走っていました。又モノレールの姫路駅は仮駅舎の佇まいで簡素な物だった様です。



解体が発表されている大将軍駅の入っている高尾アパート。この様にアパートの中を突き抜けているスタイルは
非情に珍しいものです。3階部に軌道、4階部にホームという構図でした。しかし地図を見ても判る様に姫路駅からあまりにも
近い為に利用客は少なく開業して2年も経たない内に休止されています。なかなか刺激的なアパートです。



姫路側のレール飛び出し部分です。ここを飛び出すモノレールを今撮影したいものです。



手柄山方から見た高尾アパートの全景です。かつてはココをモノレールが横断していた訳です。
県道62号もモノレール現役当時は広い道路ではなかった様です。既に解体準備が始まっています。



手柄山側へ伸びていた線路が今もアパートの中へ続いています。末期には一般公開されましたっけ。



高尾アパートを飛び出した軌道は県道を跨いで船場川上を走っており今も橋桁が残っています。



コンビニエンス裏手辺りを行く軌道跡。川の中に建っていた橋桁は道路上になっています。
奥に横切っているのは山陽新幹線の高架で、意外とギリギリをいっていますね・・・。



川沿いに少し歩いたところから撮影。ツタが良い感じ。



新幹線を潜るポイントです。良く見ると本当にギリギリですね。開業時ならば新幹線とのコラボも撮れた筈です。



新幹線を潜った先で軌道が途切れますが少し先で復活します。写真奥が手柄山方です。



その先で再び途切れる軌道跡。一部分だけ撤去されている意味は何なんでしょうか??。
すぐ横に新しい目のマンションがあるので景観を損ねない意味で部分的に外した可能性がありますね。



しかしまたしても直ぐに復活する軌道跡。奥が手柄山駅方です。



怪しげな区間に伸びる軌道。放置されている車もまた芸術的に見えてしまう不思議な空間。



延末一丁目近くを流れる船場川沿いで切れる軌道跡。実質残るのはここまで。
この後軌道は西へ向きを変え手柄山中央公園を目指します。文化センター前交差点近くにある
「CoCo壱番館」の裏手が軌道跡ですが民家の駐車場が不自然な角度で曲がっており軌道跡を示しています。



その部分を切り抜き判りやすくしてみました。画面右上が姫路駅方となっています。



公園の高いところから線路跡を見たところです。奥に小さく姫路城も入れてみました。
駐車場の料金所ゲートの少し先から樹に沿って一気に丘を昇ってきていた様です。



手柄山駅は公園の丘の上にあった様です。これじゃ駅に行くのに相当に労力ですね・・・
軌道は写真の建物の中間(立体駐車場で隠れていますが)部から吸い込まれる様に入っていました。
今もその部分は残っていますが水族館等の施設の受付入れ口になっています(笑)。しかもモノレールは当時のまま
駅に保管されており自由に見学する事も可能です。訪問が早朝とあり入場できなかったのが非情に残念。



手柄山交流ステーションとしてモノレール展示もしています。



姫路市営モノレールは姫路市内を循環する延長構想が当時から有り手柄山駅の建物に吸い込まれた
軌道は突き抜ける構造になっていました。その出口の今の様子です。もちろん延長工事などしてはいませんが
飛び出していた軌道は結構長くスイッチバックして検査線へ入る仕組みになっていました。



検査場があった場所は現在庭園になっています。



台車が展示されています。説明書きには・・・
【姫路モノレールの台車は1車両に2台あり、1台の重さは約3.7トンです。コンクリート製の軌道には鉄製の
走行用レール、安全レール、第三軌条が施設され鉄製の車輪からなる2軸ボギー式台車で車両を走らせていました。
台車の動力として出力75キロワットの主電動機2機で駆動輪を動かし、最高速度は時速120Kmの
高速運転が可能でした。ロッキード方式は1本のレールの上を小径の鉄車輪で走る事に特徴があります。】




船場川沿いには廃止から40年以上経過した今も軌道が残っていますが老朽化という面でいづれは解体されて
しまう運命かもしれません。開業時は華々しかったのでしょうが数年で廃止とはお粗末な結果になってしまいました。




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