調布駅移設

「京王帝都」の前身「京王電気軌道」が笹塚-調布間を開通させたのは大正2年なので調布駅の開業も大正2年という事になります。
分岐している相模原線はまず大正5年6月に調布-多摩川原間が砂利輸送の為に開通しました。この当時の車両数は客車が18両に対して
砂利輸送用貨車が12両という物で砂利輸送に対する会社の思いが良く判ります。貨車は調布→天神橋ホッパーと来てから東京市に売られていきました。

この様な時期の調布駅は現在の位置から200〜300メートル西にありました。下左は移設前後を書いた珍路線図、右は移設前の構内配置図です。

  

かつての相模原線はかなり急な角度で調布駅に入り込んでいた様です。移設されたのが昭和28年ですからその当時は電車も14m車両だったのでしょう。

1953年の京王ニュースでは「現在京王では二つの大きな工事をしている。その内の一つが調布駅を東に300m移動させる事で
現在地下道を工事中である。これにより京王多摩川への分岐線の急曲線も解消され2600・2700形の乗り入れが可能になる」。
とあります



上の写真は現在の調布駅で、相模原線が本線を平面クロスし駅構内に進入する場面ですがコレでもかなり急な感じがします。
現在地から300m近くも西方にあったとすると(ホーム延長分を差し引いて200m前後かな?)かな〜りのヘアピンであったかと予想されたり。



これは「調布3号踏切」から現在の調布駅方面を見た所。300mって結構な長さですが当時のホームと現在のホームでは長さが
全然違いますから差し引いて写真の場所に行ってみました。左の空いたスペースがその旧駅舎のあった場所なのでしょうか。
ココから仮に相模原線が分岐していたとしても跡地が現在の調布総合指令所になったとしたら納得なんですが・・・。



これは大正3年、つまり開業1年目の調布駅。当然ながら現在の場所とは異なる所にある訳ですが照らし合わせるのは困難ですね。



旧線路跡を探してみる

さて上記で書いている通り多摩川からの線路は改良されて現在の調布駅に入って来ている訳ですが旧線路跡はどの様にして敷かれていたのでしょう。



ちょっと予想の範囲になってしまいますが矢印の部分をもう少し直進していたと予想されます。と、言うのも分岐している個所の左に
写っている木の下にかなり古い枕木を利用した柵があります。その柵は不自然な方向を向いている事からここが分岐と予想されます。



直線に延びていた線路は現在立体工事をしている事務所の建物辺りを進んでいたのではないでしょうか。



上の写真の切り返しです。道路中央かやや右手を線路は伸びていたと予想出来ます。



そのまま直進すると現在の本線と90度の角度でぶつかってしまう為に途中から大きくカーブをしていたと思われます。



上の写真個所から初代調布駅のあった個所を望みます。今もグリーンベルトとして当時駅があった証を残しています。
ただホームがあった個所は当時の図を参照するともう少し東寄りであったのかも知れません。




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