京王線旧線(笹塚-新宿間)

京王線の笹塚-新宿間は昭和38年4月に地下化されています。ただしこの「地下化」と言うのはいわゆる
「地下新宿駅」の開業の事でこの時は旧天神橋付近から新宿までが一時的に地下路線となり
後に幡ヶ谷の先まで地下化されたのは昭和39年6月の事でした。更に都営線乗り入れの為に笹塚から先が昭和53年に複々線となり
昭和58年には笹塚から新宿間全てが地下線になりました。何度も切り替えられた旧路線跡を改めて散策して行きたいと思います。



東京オリンピックの前年である1963年の航空写真です。変化の大きい笹塚〜新宿間ですが
この頃はギリギリで初台が地上駅です。当時有名であったランドマークのガスタンクも健在で現在は
新宿パークタワービルになっています。この翌年に初台駅の八王子寄りにある富士急ビル横から新宿まで地下化されていきます。



線路を跨ぐ陸橋より笹塚駅を見たところ。かつての笹塚駅は地上2面4線でしたが昭和53年に高架化されました。
写真の一番右側を走っているのは京王本線の上り線(新宿行き)で残りは全てトンネルに入ってしまいます。
笹塚駅が高架化された時は現在の下りホームを島式ホームとして使用し、後に2面4線化されています。よって旧
本線は一番左の線路とその隣ではなかったと思います。右は地下化の際の仮線路をそのまま本線にしたのではないでしょうか。



上写真を180度振り返った写真。自転車置き場となっている所が旧本線跡。



道路が突き当たった所が現在の「幡ヶ谷駅」があるところ。旧幡ヶ谷駅は地下化の際若干移動されていて地上時代の駅跡は
もう少し先になります。当時は目の前の建物は無く線路が続いていましたがそれも昔話です。



そのまま進むと時間貸し駐車場が見えますがそこが旧幡ヶ谷駅跡です。きちんと「京王コインパーク」と「京王」の名が残っています。



駅のあった所です。左の青い車の後ろに当時の鉄道柵がそのまま残っています。旧幡ヶ谷駅は2面2線の対向ホーム
だったのでおそらく上りホームの裏手にあった柵ではないでしょうか。中央には現行線の為の通風口があり電車の音も良く聞こえます。



甲州街道から幡ヶ谷駅へ入る為に作られたのか、広い道だけが残っていました。



駐車場から先は渋谷区立の公園として整備されています。



少し先で甲州街道がグッと近くなります。



しばらくは甲州街道と平行し新宿を目指します。水の公園として整備されていて子供も遊んでいます。



都営10号線が開通する前はこの地点から京王本線はトンネルに入っていました。昭和39年に完成したトンネルも都営線との
相互乗り入れの為に19年間しか使われる事がありませんでした。奥の草の中には換気口があり現行線の音が良く聞こえます。



さてここからは新宿までの地上時代(S38年4月〜S39年6月までは一部地下化)跡を辿ります。先程の昭和39年完成の
トンネル横を歩き新宿を目指します。旧線路跡は遊歩道になっていて散策はしやすくなっています(奥が新宿方面)。



線路跡が改正橋を渡ります。旧線路跡の下には玉川上水が流れていていくつもの橋があります。
この改正橋という名は大正8年に初台に変わるまでの旧駅名です。この道沿いに地下化された初台駅があります。
京王開業時は幡ヶ谷とここ初台間に「幡代小学校前」と「幡代」という駅がありました。



上写真と同じポイントより旧初台駅を写したところ。昭和39年まではここに駅がありました。



駅跡は公園の様に整備されていました(写真奥が新宿方面)。



幡ヶ谷駅と同じくホームがあったであろう場所の裏手に鉄道柵が残っていました。



旧初台駅から先も廃線跡は緑道となり整備されています。



しばらくすると当時のまま残る柵が出てきますがもうボロボロに朽ちています。



環状6号線(山手通り)に突き当たりました。当時はここも踏切で渡っていました。写真左にも鉄道柵が見えます。



山手通りを渡ると現行線の通気口が見えます。この下を電車は走っている訳です。



初台→新宿間の遊歩道にて。奥が新宿、都内のオアシスの様でした。



長く続いた遊歩道もココで途切れます。奥の駐車場は京王のコインパークです。



駐車場の中に来ました。ここには昭和20年まで「西参道」と言う駅がありました。廃止時期を考えると戦争でしょうか。



この駐車場の一角にも「京王帝都」時代を象徴する社紋が残っていました。


西参道駅跡を行く5000系と現在の線路跡との比較。中央道は下が本線で上が新宿出口ですが未完成なのが判ります。



首都高速をくぐると「魔のS字カーブ」のあった場所です。このカーブは後に改良されました。



S字カーブの先にあった「天神橋駅」跡。この駅についてはこちらをどうぞ。右手に変電所が見えています。



かつてはこんな柵なかったのに・・・この奥に地上時代の鉄道柵が残っています。



線路跡はこの後文化服装学園の裏手を通っていきます。新宿駅が地上駅だった頃はこの先で甲州街道上に出ていましたが
地下化された際、工事の関係で1年ちょっとだけ文化服装学園の先に仮のトンネルを作っていました。



昭和38年3月末まで甲州街道上を走っていた京王線ですが現在ニッポンレンタカーのある場所より線路は出て来ていました。
航空写真などを見ると判りやすいのですがこの部分だけ道路の形が変形しているのが判ります。



甲州街道上から新宿駅方面を見たところ。かつての甲州街道はもっと狭く、京王線は道路の右端を路面電車の様に併用軌道
として走っていましたが道路拡張後に中央を専用軌道として走っていました。中央のグリーンベルト部分がその跡地です。



甲州街道の中央を走った線路は現在のLUMINEビルに入っていました。LUMINEビルの奥は現在京王デパートがありますが
かつてはソコが京王新宿駅でした。(関東大震災以前は国鉄線を跨いだ明治通り方に駅があり現在も京王追分ビルが建っています。)




廃線へ戻る