めじろ台駅に見る廃なもの

時刻表の欄でも書いていますが小学生の頃京王線に乗り全駅で下車し時刻表をもらった事があります。
その時に「めじろ台」でも下車して時刻表をもらったがその際に駅員さんから「これも上げるよ」と路線案内図を貰ったのを良く覚えている。
路線案内図とは電車のドア上部にはめ込まれている長方形をした路線図の事。今では時刻表と共にどこかへ処分してしまって無いが当時の路線図
だと京王多摩センター・岩本町がそれぞれ終点であったろう。そんな「めじろ台駅」の思い出がある私ですが当時のホームは2面4線の駅でした。



上の写真は「狭間駅側」から見た「めじろ台」のホーム(平成18年現)。

「めじろ台」は京王線の支線である高尾線の駅で特急も停車する優等駅です。御陵線の廃線跡を利用して作られた高尾線は昭和42年10月に
北野〜高尾山口間を開業させています。めじろ台駅開業時は2面4線のホームでしたがこれは当時、高尾山口から先に線路を延長する計画があり
その際、待避線の役割をさせる為の物でした。しかし線路延長計画は相模原線に移行されて計画は流れてしまい
昭和50年代末期にはかつての「1番線」「4番線」は撤去されてしまいました。



めじろ台駅の高尾側。待避線があった事を思わせる様に「ハの字」になっているのが判る。

現在(平成18年度)の「めじろ台駅」を見てみると北野方面へ向かうホーム(2番線)の線路があった場所はかなり改良工事をされていて当時のまま
という訳にはいきませんが逆に1番線側は線路があったと判る様な状態でした。ココではそのスペースをちょっと紹介してみます。



上の写真はそれぞれ1番線ホームですが左の写真は当時まだ特急8両時代だった頃のホーム末端部分と推測。と言うのも写真右部分を見ての判断ですが。
1番線の高尾寄りは旧ホームに柵をしただけの簡易的な工事なのでそのまま残っています。右写真はもうちょっとホーム中寄りに移動して撮影した物です。
軌道跡はそのまま放置されていて資材置き場と化しています。
置かれているのは改良前に使われていたホームのタイルでしょうか(昭和の時代はホームにタイルが良く使われていた)



こちらが1番線の北野側。雪が積もっていて状態が全然判りませんが線路などは残っていない様です。コチラにもタイルが積まれています。
廃止になるくらいですからココに線路があった当時から使われる事も少なかったのでしょうか。それとも各駅停車の入線、特急の通過
なんて事もしていたのでしょうか、流石に記憶がありません。一部線路跡上に立てる所があります。

最初の方にも記しましたが高尾側は切り通しが「ハの字」に開いていて分岐場所を示していますが当然この場所にはポイントがあったハズです。
線路を撤去したと同時にココにあったポイントも撤収され直線のレールへと置き換えられた(ハズ)と思っています。下写真はそのポイント跡でしようか。



ホームは10両対応に延長されていますから○部分から分岐すると丁度8両対応ホーム部に接続します。

上写真の○印部分の拡大はココからどうぞ。無理矢理っぽさが良く判りマス。

こちらは「めじろ台駅」が2面4線の頃。昭和50年代中期頃で北野側から望んでいると思われます。






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