京王帝都の社紋入境界石を探す(1)


1.笹塚

まずは笹塚駅へやってきました。写真は笹塚と新宿(幡ヶ谷)間の高架下ですがココに京王帝都時代の社紋の入った
境界線が残っています。そもそも笹塚駅は地上駅であり高架化されたのが昭和53年、その当時のまま残ったものでしょう。




2.調布

続いては立体交差真っ盛りの調布駅です。来たのは駅西側でかつて保線車が停車していた付近で東山病院の裏です。
ここの前には何本かの境界線が立っていてどれも奇麗にマークが残っています。
*京王電車調布駅周辺の地下化により無くなっていると思われます。




しかしこの境界線は病院の壁側に立っているのでこの道は京王電鉄の「私道」という事なのでしょうか。


3.山田-めじろ台

続いてやって来たのは高尾支線の山田駅。山田駅はかつての京王御陵線との分岐に近い所に駅を持っています。
写真は「山田-めじろ台」間の御陵線の分岐部分で写真右手の民家の裏手側を線路は通っていました。今見ても
何となく線路があった事を判らせてくれる構造になっています。そして写真の中央に写っている高台の家の方へ
行ってみると裏手に畑があるのですがその畑の真ん中に京王帝都マークの境界線が当時のまま残っています。




4.中河原

こちらは中河原駅の新宿寄りにあるガードでこの下にも残っています。中河原駅が地上駅から高架駅になった
のは昭和47年ですが当時ここが踏切であったならばこの境界石があっても不思議ではありません。




5.旧西参道

京王線には多くの旧線や廃線がありますがその内の一つ初台〜新宿間の地上時代の物もありました。




6.旧幡ヶ谷

上写真と同日に撮影した旧幡ヶ谷駅(地上時代)の境界石もきちんと残っていました。現在の幡ヶ谷駅は新線に移設
され10両の急行も停車しますが当時のホームは各停対応ホームでしょうからかなり短かったと思われます。




7.北野

こちらは地上駅から高架駅になった北野です。地上時代は2面3線に保線車の側線がありました。この境界石は
上りホームの裏手にあった物だと思われます。京王帝都のマークが半分埋もれてしまっていますが確認出来ます。




8.旧東八王子

かつて駅のあった場所にもそのまま京王帝都のマークは残っています。現在の京王八王子駅は平成元年に地下化
されましたがそれまでは地上駅であり、そのもっと昔は甲州街道方まで線路は延びており駅名も東八王子駅でした。
かつての駅跡にもご覧の物が。旧線については後日この「京王帝都電鉄の雑記」欄にてupの予定です。




9.八幡山(1)

やって来たのは八幡山と芦花公園間。今更ですが八幡山駅もかつては地上駅でしたが高架になったのはもうかなり前
ですのでこれは高架後に新たに作られた物なのか地上時代の物かは不明です。八幡山駅の西側には2線分の留置線が
ありますがその真下に2つの京王帝都マーク入りの境界杭を見る事が出来ました。




10.京王研修センター

境界石は決して線路のそばだけにある物ではありません。日野の台地にある研修センターも立派な京王電鉄の
施設です。この建物の周囲にもしっかりと京王帝都時代の境界線が残っています、それも3連続です。






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