北茅ヶ崎駅周辺の企業専用線跡

神奈川県を走るJR相模線茅ヶ崎駅から1駅の所にある「北茅ヶ崎駅」。
2021年現在は1面2線の島式ホームですが昭和時代にはこの駅から多くの企業
に向けて線路が延びていました。全てが短い距離ですが纏めてみたいと思います。



現行地図に当時の路線図を入れてみました。駅の茅ヶ崎寄りには「電源開発」「日本製麦」
「TOPY工業」「秩父セメント」にそれぞれ専用線が敷かれていた様です。

(1)秩父セメント専用線

地図に「秩父セメント」と記載している箇所は現在ホームセンターになっていますが
かつてはサイロが存在し貨物が入線しています。
勿論現在は跡形もありませんが撤去された線路のスペースが残っています。



駅の跨線橋から撮ったもの。画面左の建物がホームセンター。
奥に分岐ポイントも残り線路跡もはっきりしています。



北茅ヶ崎駅ホーム末端から橋本方を見たもの。こちらも分岐ポイントが残ります。



駅横の踏切は1線分のスペースが残されたままです。


(2)電源開発専用線

電源開発株式会社は現在「研究所」という名目で駅から少し離れた場所に存在しています。



上記写真の様に1960年代迄はここに大きな工場があったのではないでしょうか。
線路のあった所は現在住宅となっている為に何も残っていないと思われます。

(3)日本製麦専用線

日本製麦は北茅ヶ崎から分岐し線路は茅ヶ崎駅方までかなり延びていた様です。
日本製麦さんのFACEBOOKのトップの写真が非常に興味を引く写真を使用されています。
(昭和25年頃に撮影された引き込み線末端部辺りと思われます)



日本製麦へ延びていた線路は既に撤去されていますが「小出踏切」に当時の踏切跡が残っています。



北茅ヶ崎駅を背中にし工場のあった方を写しています。工場撤退後は嬢宅展示場へと
姿を変えましたが、その住宅展示場も解体されていました。奥の大きい建物は「イオンシネマ茅ヶ崎」です。

(4)TOPY専用線

駅周辺の廃線で当時の様子が判るのがこのTOPY工業への専用線ではないでしょうか。
と言うのも北茅ヶ崎を出た線路は大きく「孤」を描いておりその様子が現在も判るからです。
余談ですが社名が「トピー工業」となったのは1964年の初期東京五輪の年でそれ以前は
東都鉄構株式会社という社名であり専用線現役時はコチラであったのではないでしょうか。



奥に見えているのが北茅ヶ崎駅。線路手前が茅ヶ崎方面という構図で写真中央より分岐した専用線
は緩いカーブを描きながら画面手前側に延びていました。



線路は道路を横断していたので踏切の様な物があったと思いますがどうやら遮断機では無く
ロープを張って人や車の流れを止める簡易的な踏切であった様でロープ巻き取り装置が
錆びたまま残っています。きちんと専用線が通っていた線路跡と同じ角度で設置されています。



相模線本線と別れた線路は孤を描いて現在時間貸し駐車場内の壁沿いに進んでいました。



緩いカーブを描いていた線路跡。



日本中どこもそうですが昔は何もなかったんですねぇ。
このカーブを曲がると一度線路跡は「東洋薬化」「湘和会堂」の敷地内に入ってしまいます。



線路跡横に赤線を入れてみました。壁沿に線路があったと思われます。
奥の建物は「湘和会堂」の建物になります。



かろうじて線路跡が判る様になっています。



地図にも記載がありますが「千の川」を渡っていた線路ですが橋台でも残っているかと
淡い期待をしていたのですが何もありませんでした。何処まで線路が延びていたかは不明ですが
奥の建物辺りくらいではないでしょうか。専用線で使用されていた枕木が人用の橋に再利用されている様です。



駅の北側にも専用線は延びていました。

(5)東洋カーボン専用線

東洋カーボン専用線に関しては申し訳ありませんが何も撮影しておりませんので
現在の写真より引用させていただいております。相模線本線より分岐して工場に入る所にある
駐車場の形状が線路跡そのままに緩くカーブしているのが判るかと思います。



旧地図で見ても線路はさほど多くなかったと予想されます。
それよりもちょっと判らないのが社名についてです。上写真の駐車場も「東海カーボン」の持ち物
となっておりここら辺一帯の工場も現在は全て東海カーボンの用地になっています。
東洋→東海に社名を変更したとも記載ありませんが手元の専用線資料には「東洋カーボン専用線」
と記載がありちょっと混在しています。識者の方いましたらご教授願います。

(6)東邦チタニウム専用線

東邦チタニウムは北茅ヶ崎駅の西側に広がる大きな工場で茅ヶ崎以外にも全国に4箇所の工場を
持つチタン製造の会社です。車のパーツではコンロッドやチタンマフラーなどを手がけています。



北茅ヶ崎駅の橋本寄り末端から橋本方を向いて撮影しています。
画面左が「東邦チタニウム」の工場になります。壁沿にススキが生えていますがここに側線が存在し
○印部辺りから奥の壁に沿って専用線が敷かれていました。
工場の奥には「千の川」が流れていますが線路はその突き当たり部くらいまで延びていた様です。



駅の跨線橋から撮影したもの。奥の丸印のところが線路が工場へ入っていたところ。
角度が付いてるのがお判りになると思います。




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