武蔵野競技場線跡

かつて中央線の三鷹駅から北側に向かい1本の支線が出ていて「武蔵野競技場線」と言われていました。名前の通り
三鷹と武蔵野競技場を結んでいた路線で距離は3.2km、電化された単線でした。武蔵野競技場は昭和26年に開設された野球場で
現在のヤクルトの前進である「国鉄スワローズ」の本拠地でもありました。この球場へお客を輸送する為に開通したのがこの
武蔵野競技場線な訳です。運行は野球のある日に限られていました。しかし武蔵野競技場での試合そのものがたった1年
で終了し電車の運転もされなくなってしまいました。廃止は昭和34年11月1日が正式だそうですがそれ以前より線路は放置状態だったそうです。



上は当時の路線図です。三鷹駅を立川方面に出た線路はしばらく本線と走り車庫付近より北上しています。左には浄水場線も写っています。
この武蔵野競技場は戦争中に中島飛行機工場があった場所で戦時中からこの工場への引込線が敷かれていてそれを再利用した物です。
かつて東京駅からも直通電車が出ていたというこの武蔵野競技場線の廃線跡は遊歩道となっているので散策は簡単です。



これは有名な三鷹電車区の上を横切る歩行者陸橋の上から撮影した物です。写真右手の保線車両が停車している辺りより
武蔵野競技場線は分岐していたものと思われます。丁度保線車両が停車している辺りが道路に対してゆるいカーブも描いています。



本線と分岐した支線は写真中央にある木の右手を通っていたと思われます。これは公園の入口になっています。



公園を抜けた所からは「グリーンパーク遊歩道」となっていて線路跡を辿る事が出来ます。



公園内で「エ」マークを発見。鉄道が走っていた証拠です。



どんどん進んで行くと「玉川上水」に突き当たります。



遊歩道では玉川上水を渡れない為に迂回し対岸に廻り込みます。上の写真は三鷹駅側を向いて
撮影していますが武蔵野競技場線の橋台がそのままの状態で残っていました。



緑に囲まれた遊歩道はまだまだ続きます。このグリーンパーク遊歩道は線路跡を単に歩道化しただけでなく
途中に池や公園などを作っていて近所の子供がザリガニ取りなんかをしていました。



吉祥寺通りを渡る線路跡。しかしこの路線があった当時には「吉祥寺通り」は存在してはいません。



しばらく進んで見つけた光景。もしかしたら当時ここには踏切があったのかも知れない(奥の家は後から建ったと推測)。



民家の横にはもしかして「枕木?」を想像させるものが刺さっていました。



こちらも当時から残っていると思われる鉄道冊。



その証拠に冊の下にそのまま残る鉄道境界マーク。



ここが遊歩道の終点となる「武蔵野中央公園」。この公園は戦時中の中島飛行機の工場があった場所です。
線路はこの公園のもうちょっと奥になるハズですが何も当時の様子が判るものはありませんでした。



ここに軍事工場があったとは思えない現在。説明書きの立て看板もありました。



武蔵野競技場駅の様子。既に使われなくなって久しい頃(鉄道ピクトリアルより) 。




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