登戸連絡線

神奈川県川崎市にある「登戸駅」は小田原急行とJR南武線との乗り換え駅ですがかつてはこの2線、線路が繋がっており
その名を「登戸連絡線」と呼ばれていました。この連絡線の歴史はかなり古くにさかのぼります。そもそもJR南武線
は南武鉄道という私鉄でした。この私鉄時代の1936年(昭和11年)に連絡線は敷かれた訳ですが線路は小田急線の向ヶ丘遊園駅(当時は稲田登戸駅)
を登戸方面に進み高架を上らずに東へ向きへ変えてゆっくりカーブをし南武線の登戸-宿河原間に入っていました。
*(南武線が国有化されたのは1944年(昭和19年)4月の事です。)



連絡線の廃止は1967年3月。この写真は1963のもの。
廃止の4年前では有りますが「使用されなくなってから」は月日が経っていそうです。



南武線の登戸駅から宿河原方を向いて撮影しています。この直線部分の右手から
連絡線が合流していました。以前は「小田急電鉄社有地」の杭が残っていました。



連絡線があった当時とは別世界の様になった小田急側。向ヶ丘遊園駅のホームより
登戸方面を撮影しています。航空写真を観るとカーブの途中から分岐している様です。



「鉄道ピクトリアル」より。小田急1800形の手前に連絡線の線路が写っています。
この写真は1955年撮影らしいですが既に荒れ果てていたらしいです。
それを考えると最上段の航空写真時は廃止前とは言え相当ボロボロであったと想像できます。


この連絡線の使用目的は稲城長沼方で採れた砂利の貨物輸送、また資料によると1937年10月には
小田急側から南武方への競馬客の輸送も行っていた様です(翌年1938年にも行われています)。
1947年には太平洋戦争で不足した車両を補う為に5月〜10月まで小田急車両をこの連絡線経由で借り入れています。
もしかしたらコレが最期の使用であったのかも知れません。




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