JR大船工場専用線跡(1)

JR大船駅(神奈川県)と隣の北鎌倉駅の間から西へ延びる廃線があります。これはJR大船工場へのかつての引き込み線跡です。
この大船工場は主に車両の修繕や検査等を行っていましたが2006年3月末日を持ち業務を他車両センターに引き継ぎ閉鎖されました。
かつては一般公開などをしていた様で、現在は鎌倉総合車両センターで時折公開をしているらしいです。この線路ですが
大船駅側からは直接工場に入る事が出来づ一度鎌倉方面へ入りスイッチバックして工場に入っていくという面倒な配置になっています。



こちらは昭和44年当時の現役の頃の工場をとらえた写真です。写真右より分岐した線路は一路工場へ延びています。
工場の中も線路は複雑に枝分かれしている様で、今回はこの廃線跡を大船駅側から探索していきたいと思います。



まずやって来たのは横須賀線本線と工場へ行く専用線の分岐地点。写真の奥が鎌倉方面になります。
この一番右の線路、草に埋もれていますがこれがかつての工場への線路です。土に返ろうとしています。



線路はすぐに横須賀本線と分岐して西へ方向を変えます。当然電化されています。



線路はすぐに県道21号線を踏み切りで超えていきます。道路上にも線路は残されていますが
遮断機は無くなっていました。踏切周辺はフリーな状態で人が入っていけてしまう程です(手前が分岐部)。



上写真の踏切から。ここからも線路は綺麗に残っています。
廃線という感じは全くありません。奥に湘南モノレールの橋桁が見えます。



専用線跡と湘南モノレールの交差部分。
この交差箇所には「富士見町」というモノレールの駅があります。写真奥が工場になります。



モノレールとの交差部から少し工場方面に歩いたところ。奥にモノレールの脚が見えています。
架線柱が新しくみえます。写真の箇所、実は簡易的な踏切になっています。



上写真と同じ場所から180度向きを変えて工場方面を撮影したところ。綺麗です。



しばらく走ると線路の右手より県道304号が出てきて併走する形になります。
バス停の名前は「東洋化学前」となっていました。一般的に見れば廃には感じられません。



延びる線路。センターに置いてあるコーンは悪戯かな?。架線もそのまま張られています。



この線路に所々存在する小さな踏切の一つ。消えかかった文字で「三号踏切」と書かれていました。



この地点で一度県道と距離をあける事になります。



二連の踏切を通過していた線路跡。遮断機はあった様で台座だけが残されていました。
ここから線路は一直線になっており三菱電機鎌倉製作所の中を突っ切って工場へ向かって行きます。
三菱は東芝同様に鉄道製造にも関わりを持っているのでこの敷地内通過に意味がありそうです。



三菱の私有地に入り込み撮影する訳に行かないので次ぎに線路が出現する箇所に向かいます。
ここは県道304号の町屋橋でやっと一般道とへ顔を出します。架線は残っています。



ここにもかつては踏切が存在していた様です。奥は大船駅方面です。



高電圧注意!。当然電気は来ていない(ハズ)。
この路線にはデコンタや信号設備、標識、看板、架線等線路も含めて廃止になったままの状態です。



工場への線路の最期の踏切。この踏切上の線路も剥がされたりコンクリートで埋められる
と言った事はありませんが程度は良くありません。ほんの数年の放置でこうなるとは・・・。



線路は再び県道と並び工場への門へと吸い込まれて行きます。



門に立ち中を撮影。廃止になっている工場なので人も電車も何もありません。
このまま放置なのか、取り壊しなのか、何か鉄道利用するのか今後に注目です。



敷地外の柵より撮影。左に大きくカーブしていく側線が2本確認出来ました。



ゲート側から中を覗いたところ。ん!?、ターンテーブルにも見えますが。



閑散とした工場内。もうここに車両が運び込まれる事はないのだろうか・・・。



車両の搬入・搬出にも使用されていた門。ゲートはガッチリ閉められている。



その入口には閉鎖と書かれた張り紙もされていました(画像修正済み)。
この廃線を歩いてみましたが廃止から2年も経過していない事、大きく手を入れられていない事
もあり踏切部さえ修繕してやればすぐ復活出来そうな感じでした。車両増加に伴う車庫不足の
改善の為にも何らかの形で整備し復活してほしい線路の一つですが厳しいでしょう(過去に例がない)。




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