新茂原貨物駅・三井東圧化学専用線

千葉県を走る外房線の「本納駅〜神茂原駅」間にあった新茂原貨物駅と
そこから分岐していた三井東圧への専用線跡を一緒に見てきました。
貨物駅は平成8年に廃止、それに伴い専用線も廃止されています。



貨物駅が現役だった頃の航空写真です。千葉県茂原市の田舎度に驚きます。
田んぼの真ん中に大きな貨物駅が存在していました。



貨物駅へ続く側線の末端部分にやってきました。



線路が一部本線の方へ飛び出しています。ここら辺で合流していたのでしょう。



上の写真の反対側にある第二宮の下踏切より。印のある所が合流場所です。



この第二宮の下踏切からはX字の綺麗な廃ポイントも拝めます。



同地点より貨物駅方を撮影したもの。



踏切には線路が埋もれています。



更に貨物駅方にある榎木町踏切にも貨物駅への線路が埋められています。



貨物駅の近くへ行く為ちょっと大回りをして行きます。遠目からでも判る貨物駅の建物。



草をかきわけ貨物駅脇まで来てみました。丁度普通電車が走ったタイミングでパチリ。



中を覗いてみると線路もそれなりに残されている様で廃止後ほぼそのまま、みたいな感じになっています。



廃貨物駅って良い雰囲気。昔の仮面ライダー系の撮影地なんかを思い起こします。



トミーテックの模型でもある様な貨物駅の建物の廃墟。



恐らく新茂原貨物駅の正門だった場所と思われます。



貨物駅跡地は現在資材置き場的な使われ方しかしていない様です。
今後更地になっていく可能性もなくはないですが・・・。
そしてここから専用線が出ていたのを忘れてはいけません。



東圧化学への専用線は貨物駅の一番本線側から延びていました。



谷島踏切から貨物駅内部の専用線が敷かれていたであろう箇所を撮影。
バラストだけは当時のままのこっていますがレールはなくなっています。



ただし道路上にはレールを剥がした箇所がはっまりと判る様になっています。



同地点より180度振り返って工場の方を向いています。路盤が確認できます。



専用線のレールの外側にあった鉄道柵はそのまま残っていました。
奥の高架橋の所までは外房線と並行して走っていました。



写真でも判りますが本線からゆっくりと離れていく専用線のコースが確認できます。



道路下を潜る箇所で鉄道柵はなくなりますがバラストは当時のまま残されています。



その先で小さな川を渡るのですが数十年放置されているので木々が
物凄くアクセスに苦労しましたがなんとか到達。



藪を抜けると再び廃線跡を辿りやすくなってきます。



この様な標識もポツンと残っていたり・・・。



県道と並行していた東圧化学工場への専用線ですがしばらくして県道と離れて行きます。



そして当時物の鉄道柵が現れます。



途中には用水路を渡る小さな橋もそのまま存在していました。この辺はバラストもあり
線路や信号機と言ったものだけを撤去し他はそのままと言った感じがします。



綺麗に残っていた線路跡が大きな樹に飲み込まれてしまいます。



数メートル先で再び路盤が綺麗に現れます。



この先は工場までほぼ一直線。阿久川と並行して南下して行きます。


西谷橋で一般道路と交差になります。この道路は専用線現役時も存在していた 為に踏切があったのだろうと想像します。



工場が近くなるにつれ歩道と路盤の高低差が出てきました。
もうバラストなどは見ることが出来なくなりましたが鉄道柵は確認出来ています。
奥の建物は「沢井製薬」の関東工場で今回の廃線とは無関係の建物です。



沢井製薬の前を線路跡は続いています。貨物が現役の当時は恐らくこの工場は無かったと思われます。
線路はここから工場に入っていく為に大きく左へカーブしていくことになります。



線路が工場へ向きを変える写真です。
沢井製薬の工場が建っているところは空き地になっています。丁度貨物列車が写っています。



上の航空写真内「カーブA」と書かれている箇所は現在一般道路として工場関係者以外も
歩くことができます。かつての線路跡と判る様なゆっくりとしたカーブが印象的です。



工場内はかなり奥まで線路が入り込んでいた様です。
現在は線路周辺の建物のあった場所はほぼほぼソーラーパネルが設置されています。



この専用線は歴史を紐解くとちょっとややこしくなっています。
この工場は昔は「茂原海軍航空基地」でした。その際この基地にも専用線が設置されていましたが
当時は茂原駅から真っ直ぐ上に延びる形で線路が敷かれていました。1957年の基地廃止後は
現在の工場になりましたが(社名は異なる)その際に茂原〜新茂原間に新しいルートが形成されています。
それが上の航空写真です。その後新茂原貨物駅が出来1986年から今回紹介した
貨物駅から分岐するルートに変更されていました。非常にややこしい話です。




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