恵比寿ビール

明治時代、現在「恵比寿ガーデンプレス」のある場所にあった「エピスビール」の積出し専用駅として開業したのが「恵比寿駅」の始まりです。

明治20年に貨物取り扱い駅としてスタートした恵比寿駅ですが旅客を扱う様になったのは明治39年からとなっています。
当時の構内配置図を見てみると山手線の上下線、山手貨物線の上下線の他に4本の路線が奥に引かれていて一番奥には
貨物ホームまで設置されていました(長さは旅客ホームの半分程)。またそのまま延びた線路は目黒方面に向かって行き
ビール工場の中に引き込まれていました。



昭和55年頃の恵比寿貨物線。奥が目黒方面でビール工場がある所。

ビール積出しホームはビール工場内に引き込まれた専用線に設置されていました。会社名が「日本ビール→サッポロビール」と
改名しても引き続き使用されいましたが出荷がトラックに変わってからはホームの跡にEF58電気機関車と客車が備え付けられた
「ビア・ステーション」がオープンしました(のちにこれは目白へ引っ越しますがそれも撤去されマンションが建ってしまいました)。



「ビア・ステーション」があった頃の様子。


恵比寿駅構内のヤードは平成2年までは客・貨物駅でした。全盛期の頃は入れ替え用としてアメリカ軍所有のディーゼル電気機関車を
使用していたとの事ですがこの当時では国鉄では蒸気機関車がまだメインでした。その後に国鉄では「無煙化」を目指して製造した
「DD13」型が入れ替えに使われました。現在この貨物ヤード跡は恵比寿ガーデンプレスへの通路になってしまいました。
昭和61年から平成2年までの間は貨物駅から寝台客車と自動車を積んだカートレインが発着していたりしました。



上とほぼ同ポジション。ビール工場の煙突もあるし車両がチョコ電っいのもいい(昭和35年)。




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