山手線・東京駅の歴史

東京駅の開業は大正3年12月と山手線の歴史からすれば以外と浅いのです。まだ山手線が「の」の字運転を行っていた当時の
ギリギリに建てられた駅だと言う事ですね。しかし東京駅の神田よりに「呉服橋仮駅」という駅が明治時代に開設され
電車運転をしていた事実は以外とマイナー情報なのかも知れません。駅の開業当時は丸の内北口が降車口とされていて
乗客は一方通行の扱いを受けておりまだ八重洲口はありませんでした。この頃の大都市ターミナル駅は行き止まり式のいわゆる
「頭端式停車場」が多く東京でも上野や両国橋(現在の両国駅)はその例えでした。しかし日本ではすでに明治7年に大阪駅が
このスタイルを誕生させてからはこの方式がとられてきました。元々東京駅は新橋と上野との間を結ぶ東京の縦貫鉄道の上に
中央停車場としての機能を果たすべく計画された物でした。



八重洲口が無く機関庫や検査区があった頃の東京駅


又、東京駅と言えばレンガ造りの建物も有名ですがこれは「ルネサンス式」と呼ばれる物で辰野金吾・葛西万司の設計で
オランダのアムステルダム中央駅をモデルにしたと言われています。しかしその駅舎は昭和20年5月25日の夜間空襲によって
屋根のドームが崩れ落ちレンガの外装はともかく屋根の形は元の外観をとどめる事は出来ませんでした。当時のこの駅舎は
南北の長さが322mもありドームの高さは37m、総面積22万700Bと当時の国内停車場では最大級の物でした。

「品川車両基地」の欄でも若干触れていますが駅の東側には機関庫や車両検査場などがありまだ八重洲口はなく昭和4年に
この機関庫をまたいで八重州側に出る為の橋が取り付けられました。昭和23年11月には「八重洲口」が木造モルタル3階建てで完成し
その翌年に火事で焼失となっています。その後機関庫は品川に移されて跡地に駅舎が作られました。



八重洲口があるがまだ新幹線はない時代。


開業時のホーム数はなんと4つ(4面9線)であったそうで当時は貨物駅も予定していました。取り敢えず・・・という形で
八重洲側に用地だけを確保しておき後にこれが機関庫を経てホーム拡大となっていきます。東京駅に地下ホームが出来たのは
1972年(昭和47年)の事で地下5階でした。総武本線と東海道本線(横須賀線)を結ぶ2面4線ホームだったそうです。
かつて7本15線だった在来線は14・15番を新幹線の為に譲り13番線が撤去されてしまいました(当時の11番はホーム無しの回送線だった)。
この為に地上線は6本12線になってしまいました。昭和30年代の東京駅は1番線から15番線までが綺麗に並んでいましたが
現在は14〜23番線の新幹線のホームがやや高い位置に造られています。現在は改良作業中で1・2番線が中央線快速、
3・4・5・6番線が山の手、京浜東北線、7・8・9・10が東海道線になっており14〜23が新幹線ホームとなっています。



地上時代の10番線に横須賀線が止まる東京駅。左がホームの無い11番線。


又、山手線とは若干話しがそれてしまいますが東京駅は「日本初」の地下鉄が走った所でもあります。これは東京駅開業に伴い
鉄道により運ばれて来る郵便物が駅前の「東京鉄道郵便局」で取り扱われる為に東京駅と東京鉄道郵便局とを結ぶ為の物で、
建設が大正3年に開始され翌4年に郵便専用の地下鉄が開通したのでした。当時この地下鉄は
電気機関車が郵便物を引いていたらしく現在では職員や業者さんの運搬通路として使われているそうです。




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