中央本線東塩尻信号場跡
中央本線の岡谷-塩尻間には二本の中央本線が走っています。その内の1つが岡谷駅からみどり湖駅を経由して塩尻へ行く
ルートでもう一つは岡谷駅から辰野を経由し塩尻へ行く旧ルートです。このルートは1983年に開通した塩嶺トンネルによって
本線から旧線へと降格してしまいましたが廃線にはならなく今も本数は少ないですが定期的に電車が走っています。
下の地図は昭和56年(1981年)の地図ですが見事に塩嶺トンネルは無く辰野ルートが本線だった頃の物です(塩尻駅も位置が違)。
現在線は国道20号線沿いに一直線に線路が引かれており旧線より約16Kmも短縮されています。
そして途中駅ですが信濃川島・小野の他に東塩尻(臨)と記入されているのが読み取れます。
コレは昭和14年に開設された信号場でスイッチバック式の物でした。面白いのは信号場なのにホームが有り
一般客の乗り降りも出来ていた事です。昭和58年(1983年)に塩嶺トンネル経由の新ルート完成により
信号場としての役目を終えてからも原型を留めているとの事なので訪問してみました。
電車でみどり湖に到着。新宿から小淵沢まではE351に揺られて来て小淵沢からは普通電車を利用。
特急で上諏訪とかまで行ってもよかったが接続電車が無く小淵沢で乗り換え。新宿から約3時間の旅。
東塩尻駅跡へはみどり湖駅からでも歩いていける。10分〜15分程度の距離で丁度良い。
写真はその道中に撮った物で奥の山の中に信号場は存在した。
メインストリートから駅への入口。特徴的な道しるべが在るがココが当時の駅入口なのか(笑)。
まだ駅までは距離があるのだが「エ」マークが出て来た。つまりこの道自体がJRの土地と言う事なのだろうか。
そしてこの分岐を右に上って行くといよいよ信号場跡に行く事が出来る。とは言え現役時は駅入口となっていたのか。
現在の信号場跡の様子。草木が凄いが線路もそれなりに残っている模様だ。写真奥が塩尻駅方面。
判り得る範囲で線路図を作ってみました。貨物扱いをしていた頃はもう2本程枝があったみたいですが
訪問時は既に影も形も・・・状態だったので割愛しています。まずホーム跡の方へ進んで行きます。
ポイント部の線路は綺麗に無くなっていますが枕木跡がその場所を教えてくれています。
逆から見た図です。東塩尻駅を出発した長野方行き電車のコースでしょう。
転轍機も残っていました。
草が覆っていますがホームへ向かってカーブを続ける線路。廃線ファンとしては萌える1枚。
約30年間放置されている東塩尻駅ホーム。当時は115系や貨物なんかがスイッチバックした線路もご覧の有り様。
車両の長さはかなりあった為に線路はかなり奥まで延びていますがホームの長さはいたって短くなっています。
かつてホームの上に在った駅名表も現在は枠だけが残っている。
ホームの更に先まで続く線路。実はココから以外に長いのだった(笑)。
12月なので樹に葉はないが枝とぬかるんだ地面のせいでなかなか進めないがやっとこ末端部へ。
線路は途中土に埋もれている箇所も在る。終端部には何やら標識が。「15」と書いてあるのか?。
今度は塩尻側の西にある線路跡ですが直接スイッチバックとは関係なさそうなこの線路は
貨物があった時の名残の線路でしょうか。短いですが線路が残っていました。
草の中から少し顔をのぞかせる線路。やはりレールが無いと淋しいもんです。
この引き上げ線?は元々先の樹の所までだった様です。
今度は塩尻方東側に延びていたスイッチバック跡ですが枝がもの凄くて思う様に進めません(笑)。
写真右の築堤を上って行く形で線路が敷かれていました。
築堤全域に線路は在りませんが上りきった辺りに片側だけのレールが残っていました。
この築堤自体も以外と長く先の寺山トンネル入口辺りまで延びておりホーム側と同じぐらいありました。
末端部にはホーム側と同じく標識が立っていました。「18」でしょうか?。佐々岡?桑田?。
この廃線を訪問した人は必ず訪れる「寺山踏切」。既に廃踏切状態、先に道がありません(笑)。
東塩尻信号場跡を横目に走る中央本線の支線。123系から127系に変わってしまったんですよね。
帰りはみどり湖から一度塩尻駅へ出てこの支線に乗り車内から信号場跡を見て辰野→岡谷のルートで帰還しました。
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