日本鋼管ライトスチール熊谷工場専用線
かつてJR高崎線「籠原駅」から日本鋼管熊谷工場への専用線が存在していました。この専用線は現在の
籠原電車区に沿って敷かれていて電車区が途切れた所から大きくカーブを描いて工場へ入っていく約3Kmの
専用線で塩浜操車場から原料を輸送していました。廃止は1984年、籠原駅か廃線跡を辿ってみます。
まずは籠原駅へやってきました。こちらは南口で専用線跡を追うならこちらからが便利です。
80年代中盤に籠原駅の側線が改増線された様です。この頃の航空写真を見てみると現在側線の
あるスペースは空き地になっており南口は存在していない様で南側は辺り一面「田んぼ」が広がっています。
1985年頃の「籠原駅」です。南口が存在していなく田んぼがあるのが判ります。
側線部が空き地になっています。かつて秩父鉄道と連絡していた連絡線は籠原駅から分岐して
いましたが現在は廃止され熊谷貨物ターミナルからの分岐となっており、この頃が丁度線路の切り替え
時期と重なる為に籠原駅構内の線路も変更中であった、と予想されます。
駅のコンコース窓から高崎方面を写したもの。左側のスペースがかつての専用線跡だろうか。
駐輪場が途切れる箇所。小川の上に掛かるコンクリート橋が専用線の部分であったと予想される。
かつての線路跡は駐車場になっており線路などは無くなってしまっている。
しかしその先のプレハブ事務所の裏にかろうじて数メートルの線路が残っているのを発見しました。
少しだけクローズアップ。枕木製の踏切っぽいのも見えます。奥はどうなっているのか?
線路は物置の下に吸い込まれ、というか線路が物置の台座に使用された状態。ここでプッツリ終わっています。
ここから先は籠原電車区に沿って廃線跡は続きますが全区間駐車場に変わっています。
この頃は専用線もフェンスの内側にあったのでしょう。
電車区と並走していた専用線ですが途中1箇所だけ線路がポツンと残されています。
駐車場の末端です。電車区の終わりでもあります。正面に見える民家がある所が専用線の跡です。
この跡は緩く左カーブを描いていくのですが民家の建ち方も線路跡地にある為カーブしています。
専用線が現役当時の頃の写真です。大きく左へカーブしているのが判ります。
カーブに建つ民家。家の建っている所がかつての線路跡となります。
ところどころ家が建っていない箇所が存在します。もちろん当時のままという訳ではありません。
しかし気になるのが奥にある柵。古びた枕木と錆びた鉄製の柵の組み合わせは専用線跡で良くみる光景。もしかして・・・。
今も線路跡がこの様になっており当時ここに線路があったと連想できます。
専用線は細い道路と道路の間に存在していましたが、その跡地に民家がそのまま建てられた様です。
その先の交差点も同じで真ん中の道路に挟まれたスペースが専用線跡になります。
民家が途切れた所で旧日本鋼管ライトスチール(現在はJFE建材熊谷工場)が見えてきます。
工場へ続く線路は写真の印の所を進んでいた様です。
工場の中へ続いていた線路の一部が今も残っています。
予想に過ぎませんが線路が剥がされた箇所にバラストの様な石が見えています。
○印が線路が残っている所。この専用線は工場に入るとグルリと一周する様なレイアウトになっています。
そうなると「今の敷地内の線路はどうなっているのか?」が非常に気になりますが当然社有地なので勝手に侵入して写真を
撮るなどはできません。せめて何処からか見えないか?と少し歩いてみます。
すると一箇所途切れた所から中が見え線路らしき物が施設を横切っているのが見えました。
恐らくですが線路そのものは放置され工場内は当時のまま、みたいになっているのではないでしょうか?。
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