府中刑務所引込線
古い地図を見ていたら刑務所内に入っていく路線を見つけました。刑務所名は「府中刑務所」。
下の写真のシャッター部分が当時鉄道が刑務所内に入線していた時の跡です。
このシャッター、現在は出所した人が出てくる場所になっていてそれを示す看板も小さく立っています。
***2015年現在改良工事により写真の瓶や立て看板は無くなってしまっています。**
道路に対して微妙な角度が付いているのが鉄道がココから入っていた事を印しています。
この路線は武蔵野線が開通する以前に「北府中駅」では無く「北府中信号所」であった時代のものです。
北府中信号所であった期間は昭和27年7月1日から昭和31年8月31日までなのですが旅客営業はさらにそれ以前
富士見仮乗降場の名称で実施していたのみで戦時中から戦後にかけて営業休止期間をはさみながら
東京競馬場での競技開催日に合わせて不定期の旅客営業が実施され続けた「国分寺-東京競馬場前」間の
運輸を定期の実施に変更した昭和24年11月21日が富士見仮乗降設置の日付と見なされました。
この富士見信号所から分岐する線ではまず「府中刑務所」構内に引き込む線が最初に敷かれました。
後に陸軍燃料俯・日本製鉄所・東芝府中工場へと次々と支線が敷かれていきました。
しかし現在では東芝専用線のみが生きているだけとなってしまいました。
さて刑務所内の引き込み線ですがこれは終戦直後の荒廃車両整備工事の一端を昭和21年から府中刑務所で行われていた為に
整備車両を引き込み線から刑務所内に入線させていました。また「囚人護送」にも使われ
単行運転の囚人輸送車両が実際にあり車両は荷電モニ13形を改造したものだったそうです。
この車両は荷物扉の大半を固着、開閉不能としていました。路線の総距離は0.6Kmで鉄道管理局資料上では
「貨物輸送:コンクリートブロック輸送」と記されていて囚人輸送・囚人により車両整備の為の搬入・貨物線扱いと多目的で使用されていました。
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