東八王子廃線跡
東八王子駅についてはコチラで別記させて頂いてますので併せてご覧下さい。ここでは現: 京王八王子駅から東八王子までの短い
廃線跡を探って来たレポートを紹介して行きたいと思います。「廃線」と言っても数百メートル程度ですので期待薄でしたが・・。
上地図は昭和初期の八王子周辺の路線図です。大阪窯業線に武蔵中央電気軌道まで掲載されています。京王線もしっかり
掲載されており東八王子駅もきちんと読み取れます。駅のすぐ下に「文」のマークがあります。これは学校のマークですが
現在ここには学校はありません。八王子は古くから織物の町として有名でその歴史は江戸時代にまでさかのぼります。この学校
は古い地図を見ると「麻生織染校」と書かれており八王子の歴史を感じる事が出来ます。また上地図では国鉄駅と京王駅とを
結ぶ通りが描かれていません。もっとも現在地への移設はこの通り等を含む「八王子都市計画」の為に行われた物でした。
現在は地下駅となった京王八王子駅。平成元年に地下駅となり奇麗になりました。
かつて地上駅だった頃の面影は無くなってしまいました。タクシープールの奥にチラっと見えているバスが停車
している個所がかつての駅です。よってこのタクシーの止まっている左の道が廃線跡でもあるのです。
上写真のバス出口から線路が延びていた方向を望みます。ここは直線だった様です。
直線で延びていた線路は駅前の道路を抜けこの地点で方向を北に変えていたと思われます。
駅移設から45年近く経過しても京王の土地である事に変わりありません。あちこちに「京王」と書かれています。
東八王子駅があった頃から変わりなく存在する「子安神社」。こう言った神社は廃線を探索する上でとても助かります。
京王不動産の裏手にやってきました。奥に○印をつけたのが現在の京王八王子駅ビルです。
駐車場の右の壁がかつての線路跡を示している様な角度を向いています(考え過ぎ??)。
上写真を180度振り返ったところ。建物の間に見える壁は当時からの駅との境目部分。壁より右が駅跡である。
境界線を示すマークが残されていました。石には「京王帝都電鉄」当時の社紋がきちんと読み取れます。
かつて東八王子駅があった場所。何のビルであるかは不明であるが昔はボウリング場だったのを覚えている。
ここにかつての京王線の駅がありすぐ前を走る国道20号に路面電車が走っていたなどとは誰もが信じられないだろう。
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