八幡山駅
京王電鉄京王線(いわゆる本線)の中でも「八幡山」という駅は以外とマイナーな方だと思う。実家を出て初めて「一人暮らし」をした時の
アパートの住所が「世田谷区・八幡山」だった。八幡山という住所ではあるが実際に利用していたのは「上北沢駅」であり
八幡山駅を直接利用した経験は記憶にはありません。赤坂ラーメンの支店があってソコに行ったくらいかな。
この「八幡山」は大正7年5月に開業した駅です。駅名も「松沢」という名前でした。この松沢という名は地名になっている訳ではありませんが
八幡山駅南口にはとても広大な土地を持つ「松沢病院」というのが存在しその名前を残しています。
都立松沢病院
八幡山駅の八王子寄りは芦花公園駅、逆に新宿寄りは上北沢駅ですが両駅共開業日が大正2年4月15日となっている事から
八幡山駅は両駅の開業5年後に中間点に出来た事になります。この3駅は駅間がかなり短く芦花公園〜八幡山0.7Km・八幡山〜上北沢0.6Kmという短さです。
この八幡山駅は昭和12年9月より駅名を現在の名前に改称しています。当時はまだ地上駅でした。この当時の写真が「パスネット」として販売されていました。
今の「八幡山駅」とは全然結びつきませんが地上と言う事は環状8号も踏切であったのでしょうか。このパスネットの写真に
記されているのは1954年ですから昭和31年という事ですね。当時の航空写真を見てみましたがこの辺りはまだまだ緑ばかりで
道路らしい道路はほとんど写っていません。当然ながら「環状8号線」などと言う道路も出来上がってはいません。
駅が高架になったのは1970年(昭和45)7月の事でした。高架になった八幡山駅は2面2線の相対式のホームでしたが後に島式ホームに変更されています。
この名残としてしばらくの間は駅北側に当時の上りホームが残っていましたが数年前に老朽化が原因で撤去されてしまいました。
あのホームはかなり短くて6両編成がやっと停車出来るサイズであったと思います。かなり放置されていましたがTV-CMなどで利用もされていました。
高架駅になった当時は優等列車の待避線も作られていませんでした。下写真は高架化2ヵ月前の様子で試運転の5000系が停車しています。
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撤去された旧ホームに停車している5000系。■
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