南平駅の変貌

京王線を扱っている個人ホームページは星の数ほどあると思うけれど「南平」をタイトルに持ってくるページは以外と少ない気がします。
というか少ないのも当たり前で「特別に記す事」がないですからね。でも書かない訳にはいきません、この駅は私の生まれ育った街の駅だからです。

「南平駅」は両隣にある「平山城址公園」と「高幡不動」より1年遅れた大正15年に開業した小さな駅でした。
この駅のある土地は元々借用地であって京王帝都社がその地を借りて駅舎を建てたと聞いた事があります。現在新宿〜笹塚に次いで
2番目に距離のある南平〜高幡不動間ですが前者は新線をもっているので実際はこの南平〜高幡不動間が一番距離が開いている
と言う事になります。以前は移設の話しもあった様ですが地主との因果関係の為か断念をした・・・と聞いた事もありますが些細は不明であります。

この駅の一番古い記憶ではまだ改札が地上にあった頃でしょうか。確か自動発券機が2台設置されていて駅員さんは電車が到着した時だけ
駅舎から出てきて切符を受け取っていました。改札は自動では無かったしホームに入る時は無人と同じ感覚だったのを良く覚えています。
ホーム体形は現在と同じですがまだ最大編成が8両の時代だった為に上りホームに行く為の専用踏切がありました。
後に10両編成対応ホームにする為にホームを延長。これにより構内踏切は無くなり改札も地下になってしまいました。
現在の南平駅の両端はギリギリ10両の幅で踏み切りのすぐ脇までホームが来ています。地下工事の際は臨時改札口がホーム中程に造られました。



下の写真は現在の南平駅の写真に「ココらに踏切があったろう」という箇所にマークを入れてみた物です。いかんせん写真など
撮影していないので・・・子供の頃買った切符が「昭和56年7月8日」で数字が5・6・7・8と続いていて喜んだ記憶があります。



また「南平駅」といえば1時間に3本(昼間)のローカルな駅でした。昼間は「0・20・40分」にしか来なく1本逃すと大変でした。
当時は朝・夕は「通勤快速」は発着しましたが「快速」は日・祭日の午前のみの運用だった為に滅多に「快速」という表示を見る事は
出来なかったです。この当時は土曜日専用の時刻も無く土曜は平日ダイヤで運行されていまた。2000系が駅に到着しドアが
開いた時に出る「シュー」という音と臭いがなんとも香しかったのを記憶しています・・・



南平に停車中の8000系の各駅停車。(左写真)
駅構内より旧踏切方向を見た時の図。(写真中)
我が母校の裏手を走る6000系は準特急高尾山口行(写真右)

ちょっと懐かしい写真



昭和47年10月。八王子行きホーム中間地点に立つ筆者(左写真)。この当時の南平駅は正方形のタイルが敷かれていた。タイルとタイルの
間からは雑草が生い茂っていたのも記憶にある。写真でも判る様にホームに木が生えていた。右は初代駅舎と思われる(撮影日不明)。




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