聖蹟桜ヶ丘の発展

子供の頃「目医者」に通った記憶がある。確か聖蹟桜ヶ丘駅で下車して徒歩5〜6分の所にあったと思う。この目医者は病院としては
あまり大きくはないのだけれど待合室の真ん中に大きな水槽があって子供ながら「面白いもの」と記憶している。
又家族で京王ストアにも行った事があった。まだ京王ストアしか無かった時代でした。京王ストアに入ると2階へ上がる階段が
左右に円形に延びていたのも覚えている。私にとっての「聖蹟桜ヶ丘駅」はそんな思い出しかない小さな駅でした。

「聖蹟桜ヶ丘」は玉南電鉄時代の大正14年は3月24日に「関戸」として開業しました。この「関戸」という名は鎌倉時代に
関所があった事から付けられた名前で、駅名こそ変わってしまいましたが鎌倉街道が多摩川を渡る橋には今も「関戸橋」とその名が残されています。
駅名が今の名前になったのは昭和12年の事で、当時はまだ単線で多摩川を渡っていました。以外かも知れませんがこの
「聖蹟桜ヶ丘〜中河原」間は京王本線最期の単線区間であり複線になったのは昭和39年とかなり後の事でした。



上の地図は大正時代の路線図。まだ駅名が「関戸」になっています。また京王と玉南が合併していないので府中駅が2コ記載
されてるのも興味があります。「聖蹟桜ヶ丘」が今の様な風景に変貌するきっかけとなったのは昭和30年代後半に
桜ヶ丘住宅地の開発がが始まってからの事でした。当時はまだ地上駅だったこの駅も昭和44年5月29日に高架駅になりました。



上の写真の左は昭和38年当時の多摩川陸橋。まだ線路は単線ですが複線分の用地は整っています。一方右写真は昭和30年代前半の
聖蹟桜ヶ丘駅構内。予想ですがカーブ形状からして中河原側からの撮影でしょう。又、右写真の方が古いのに線路が複線に
なっている所を見ると橋を渡り終わった辺りから複線に戻っていたものと思われます。この後昭和61年には京王ショッピング・センター
のA館、B館が完成、昭和63年にはC館の完成と新宿から本社が移転してきます。
駅前にある「スクェア」の1Fにあるマクドナルドは高校受験の為の願書提出の日に入ったなんて記憶もあります。

先日実家へ戻る際に8000系車両で多摩川陸橋を渡りましたが音が全然しないのには驚きです。
2000,5000,6000系時代色の記憶が濃い私はあの耳をふさぎたくなる様なうるさい音で多摩川鉄橋を渡る音を聞いていましたが
最新の台車はこんなにも静かなんですね。この多摩川陸橋の長さは474mと以外と長いです。比較で「京王多摩川〜京王稲田堤」間は346mです。



上は昭和30年代の地上駅時代の駅舎と平成時代になっての現在の写真です。どの駅でも言える事ですが駅舎が地下や高架に
なってしまうと駅に入ってホームにたどり着くまでに時間を要してしまう訳でユーザーとしては平地にあった方がありがたいという気もします。




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