下高井戸の廃
下高井戸駅は大正2年4月15日に開業した駅です。開業当初の駅名は「下高井戸」でしたが昭和13年3月から昭和19年6月までの
6年3ヵ月だけ「日大前」と言う駅名を名乗っていました。これは当然近くに日大があったからで現在も日大と名の付く学校が周囲に多くあります。
さてそんな下高井戸駅ですが歴史を紐解くとなかなか面白い「線路」があった事が判ります。一つは京王線と東急世田谷線とが
連絡線で繋がっていたという事。京王電車は元々新宿で都電と接続するのを目的として敷かれているのでゲージが1372mmという
特殊な物になっています。世田谷線も1372mmのゲージである為に連絡は可能な訳です。どうやって接続されていたのでしょうか。
上の写真は下高井戸駅の1番線(下り/八王子方面行きホーム)から桜上水駅方面を向いて撮影したものですが写っている待ち合い室
の裏手辺りより線路は分岐していたものと予想されます。線路があったのは戦前ですから当時の車両は3両もなかったはずです。
こちらは下りホームの裏。恐らくこのカーブに沿った状態で線路は続いて世田谷線のホームに繋がっていたのでしょう。
1961(昭和36年)当時の下高井戸駅。右に写っている電車は上りですね。良く見ると下りホームの新宿寄りにも改札口があるのが判ります。
左にかなりのスペースが空いていますがもしかしたらココら辺が東急への連絡線があった場所でしょうか。
この渡り線を通ったのは電車では無く貨車です。直通なんて話しがあったら面白かったのですがスイッチバックが必要になりますね。
当時は「大東急」時代ですから考えられない訳もありません。貨車は京王のデト2917形でパンタグラフとポールを持ち合わせていました。
デト2917形は両面に運転席を設けた貨物で中間部分は荷台になっており京王の下り線より世田谷線に乗り入れてスイッチバックをし
三軒茶屋まで出てから玉電に乗り入れて大橋車庫まで走っていました。主に東急の車輪を運んでいた様です。
こちらは1937(昭和12年)の下高井戸駅の構内を表した図です(ピクトリアルより)。気になるのは当然ですが上りの1本の線路(笑)。
これは貨物線の引き上げ線と思われます。京王は今では考えられませんが1930年代には貨物輸送が盛んでした。
貨物の内訳は80%近くを砂利輸送がしめていて残りを荷物輸送でした(昔は荷電も所有していた)。その廃線跡を見てみます。
上のマップを頼りに貨物線が分岐していた所を探します。道路形状からしてここら辺りが怪しい気もするんですが・・・
恐らく線路はこの道路だったかもしくは道路に沿った形で敷かれていたのだと思います。当然ながら引込線の跡は何も無しです。
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