鶴川街道
鶴川街道は東京都を走る街道の名前で、町田市と調布市を結んでいます。
調布側の始点は「下石原交差点」になっており甲州街道との交差点がそれに当たります。
地図を見てみるとすぐに判るのですが旧甲州街道を超えるとすぐに京王線と交差しています。
当方が免許を取得した当時の鶴川街道は南武線の矢野口駅迄片側1車線の細い道でした。
京王線との交差はまだ踏切のみで土日を中心に道路は混雑し、それに踏切渋滞も加え酷かったと記憶しています。
そんな鶴川街道と京王線との交差部に橋が架かったのは2003年の事でした。
旧甲州街道と鶴川街道の交差点から京王線方を見たところ。
片側1車線時代より道幅が広がり京王をオーバーパス。この橋は「調布鶴川陸橋」という名でした。
しかしこの当時から京王線の調布駅周辺の地下化は決まっているので数年後にこの橋は用済みとなってしまいます。
それを見越して簡易的に組み立て、解体が出来る作りになっているのだそうです。
2012年7月、もう地下化直前の鶴川街道と京王線の交差部分です。
この踏切は自動車の片側1車線にそれぞれの遮断機が付いた踏切があるので踏切名称が
「調布5号1」「調布5号2」と付いていました。橋を見ても簡易的に組まれているのが判ります。
写真左は調布側の踏切から矢野口方面を撮影、右写真は西調布側の踏切から矢野口方を撮っています。
そして同年8月には地下化が完成し踏切は閉鎖に。これで橋はいつバラしてもOKに。
すぐに撤去されるのかと思ったら1年半くらいはそのまま残っていましたっけ。
2014年3月に鶴川街道を走った時に丁度撤去作業をしていました。
写真右の看板には平成26(2014)年10月30迄と書かれています。
2014年5月では橋の調布側は既に撤去されていました。
2014年7月では線路を覆っていた道路は全て撤去されてしまっている。
2015年10月1日では工事色が少し残るものの綺麗な道路になってきている(奥が矢野口方面)。
2016年8月にバルブをしてみました。ここはかつて京王線の調布5号踏切のあった場所です。
前を走るのが鶴川街道で左が矢野口、右が武蔵境という構図。写真奥に見える緑色の
フェンスが線路跡で写真奥が西調布駅になり背面が調布駅です。橋があった形跡すらありません。
京王帝都のページへ戻る