三菱製紙・三菱ガス専用線
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常磐線の金町駅から分岐していた三菱製紙中川工場への数キロの専用線跡を訪問してみました。
この専用線の存在自体はかなり前から知ってはいたのですが知らぬ間に廃止(廃止は2003年)されており
線路跡もキレイに整地されてしまいました。三菱製紙ですので「紙輸送」が主で八戸臨海鉄道の北沼駅とを結んでいました。
また三菱製紙工場の奥にあった三菱ガス化学東京工場(現:三菱ガス化学東京テクノパーク)にも線路が繋がっていました。
簡易的な地図ですが常磐線の金町駅から出ている専用線が描かれています。
夏草に覆われていて細かい分岐が隠れてますが常磐線の金町駅から専用線の続いていた方面を撮影しています。
一番右の線路がすぐに右へカーブして行く構図になっています。信号機には×が付いています。
線路はイトーヨーカドーを包み込む様に敷かれており駐車場から線路末端部分を
見る事が可能です。金町駅構内で分岐した線路は数十メートルは当時のまま残っている様でした。
振り返るとフェンスが有り線路はその中へと吸い込まれていきます。
予想通り線路はフェンスの所でキレイに切れてしまっています。
一応途切れた部分のクローズアップ部を撮ってみたり。
線路はありませんが、かつて線路が敷かれていたスペースが残ります。当時は駅構内から続いていた築堤が
あったはずなので地形は変化しています。右の建物の屋上には何と自動車教習所があるんです。
専用スペースが終わり一般道へ近づいて来た辺りのスペースです。
その先は線路跡を一般遊歩道として整備した様でカーブが鉄道跡を示しています。奥が工場跡です。
専用線はいつくつかの道路を超えていました。
道路と交差している電柱下のスペースに何故か切れたレールが。専用線との関連は不明ですが。
線路はやがて工場跡へと突き当る。工場跡地は東京理科大学葛飾キャンパスになっている。
駅から続いていた線路が大学のキャンパス内に入っていく場所は上の写真の「○印」の所であって、実際の
専用線はかなり奥の中川の淵まで延びていました。なので全線の半分にも満たない区間しか訪問出来ていない状態です。
三菱製紙がココに中川工場を建てたのが1917年(大正6)のこと。専用線の施設はかなり後の様で1950年代後半から60年代初頭
と思われます。それは1963(昭和38)年度の航空写真をみると専用線が存在しているのが確認出来るものの1956(昭和31)では
確認が出来ないからです。廃止は工場の閉鎖によるもので2003年。現在工場のあった葛飾区新宿6丁目は綺麗になり廃線跡は何もありません。
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