長野原線

群馬県の渋川と大前とを結ぶ全長55Kmの吾妻線。現在は大前駅が終着駅となっていますがかつては現在の「長野原駅」から
白砂川沿いを北上した所にある太子(おおし)駅が終点でした。開通当時は群馬県六合村にあった鉱山からの鉄鉱石を輸送する
為に敷かれた貨物線でしたが後に国有化され旅客営業も行われましたが昭和38年に鉱山が閉山し昭和45年には長野原と太子間
は休止線になってしまいました。現在の長野原〜大前間が開通したのはそれから1年後の昭和46年3月で同年の5月には
休止扱いだった同線が完全廃止となってしまっています。この新線開通時に長野原線→吾妻線と名称も変わりました。

その旧長野原線跡を太子駅側から長野原駅方へ歩いてみました。しかし駅1つ分と言っても距離は5km以上もある上に山をぬって
走る国道を歩く為に実際には6km〜7kmものアップダウンを歩く事になります。下の地図はちょっと古いですが廃線後の物です。
太子駅跡から長野原草津口駅まで赤線を曵いてみました、かなり距離がある事が判ります。分岐駅は「長野原草津口」となっていますがこれは
平成3年に「長野原」から改称された為です。では体力勝負の散策となった当日の様子です。



太子駅からは国道405号に沿う形で廃線跡が続いています。



駅のあった場所は小さな公園と化していますが周囲に人影も無く静まり帰っています。
本当にココに駅があったのかと思う程です。しかし写真を見ても判る様にホッパー施設の跡がそのまま残されています。
手前に見える大きな石は当時物の車輪留めです。旅客営業時は蒸気機関車が走っていました。



ホッパーの中ですが所々崩落しているものの当時のまま、と言った感じがします。



この廃線跡では以外と有名な駅時代から残るトイレ。秋を感じるコスモスに囲まれて。



太子駅跡から長野原方を見たところ。この道路が廃線跡。



しばらく進むと道が二つに分岐します。右に上ると国道405号ですが線路跡は左側を突き進んでいました。



真っすぐに延びる線路跡。奥が長野原方、ここら辺は住宅もありかなり道が弄られています。



その先を更に進むと国道と離れて森の中へと線路跡は続いています。



ほどなくして1個目のトンネルが出現。このポータルがいかにも鉄道といった感じ。中に入ります。



1つ目のトンネルはちょっと距離があります。抜けると2個目のトンネルがすぐ現れますが距離は短いです。



2個目のトンネルを長野原側から撮影。この路線は電化されていなかった為に設備等それらしい物が何も
残っていないのが残念。トンネルの場合入り口にトンネル名などが残っている場合が多いのですが何も無しでした。



JRバス「中沢停留所」付近で線路跡と国道が突き当たりますが線路はこのまま国道上を走る形で左へ進みます。



国道合流地点から100m程の地点です。案内板裏手が線路跡です。



奇麗な築堤がそのまま残っています。



道はまっすぐ延びているますが写真のトンネルで行き止まりになります。このトンネルの中は立ち入り禁止になっている
為に入り口には柵がなされていました。帰宅後に調べてみると中では大きな崩落が起こっており数メートル先で道は塞がっている様です。
迂回ルートも無いので徒歩で先程の案内板まで戻り国道を歩いて行きます。このトンネルから先は道路と
平行していないので国道から廃線跡を撮るのは実際には不可能だと思います。



国道から恐らくこの山の中をトンネルとして走っているであろう、として撮影。



トンネルは長野原駅近くになり再び姿を現し写真の鉄橋を渡り駅に進入していました。時間的な問題もあり
長野原側のトンネルから鉄橋部分は未訪問となってしまいました。写真左が太子駅方、右はすぐに長野原草津口駅。



長野原草津口駅の大前寄り末端から撮影。当時どの様にあの鉄橋に接続されていたのかは判りませんでした。




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