立川基地引込線

東京都を走る青梅線の「中神駅」から分岐し当時の立川基地へ引き込まれていた線路跡です。



線路が存在していた頃の地図です。駅の北側から分岐しそのまま北上。
途中2線に分岐をしてそれぞれ当時の立川基地へと引き込まれていました。

私がこの線路の存在を知ったのは平成元年頃で立川の友人宅がこの辺(高松町)に
存在していた為です。もちろんその頃には中神駅周辺には線路等はすでに存在はしておらづ
都営中神アパート群の近くを伸びる線路が残っていたのを見た程度でした(地図上の赤い線部分)。

その後も長く線路は放置されていた様ですが後に遊歩道化されてしまっています。
ちょっと散歩程度に現地を訪問してみましたので記してみたいと思います。



中神駅から伸びていた線路はカーブを描きこの道路の目の前を横断する形で敷かれていました。



矢印のアングルで赤丸印部分を撮ったものになります。



かつての線路跡地は整備され道路拡張の犠牲になってしまっています。
現在線路跡と判る様なものはありませんがこの道路の名称が「中神引込線通り」となっています。



この道路も途中から狭まります。この専用線は単線でしたが元からかなり広い幅を有していました。
この先は完全に線路跡地として続いていきます。



線路は無くなってもこの通り名で線路があった事が伺えます。



途中で二股に分かれていた線路の現在の様子。



分岐点には線路と分岐器がモニュメントとして残されていました。



きちんと説明書きも存在します。クリックで拡大。



左側の線路跡を進むとほどなくして富士見通りに突き当たります。当時の線路はもちろんこの道路を
突っ切って基地内部に入っていました。現在「あきしま相互病院」の東側には当時大きなタンクが設置されており
航空燃料などを運ぶ貨物がここと駅とを往復していた様です。



病院の横に広がる公園。線路が現役の頃はさぞかし広いヤードが・・・と思いましたが
当時の航空写真を見てみると線路は真逆の棒線状であった様で、この先の残堀川
手前まで一線のまま伸びていたみたいです(機関車の機回しが出来ないという)。



もう一方、分岐箇所右手の線路は「いかにも線路跡」のカーブが続いて良い感じです。



こちらも同様に富士見通りに突き当たります。線路は現在公園となっている敷地へと続いていました。



当時のまま線路が残っている所がありました。旧地図を見てみるとココは基地内の道路部だった様です。



こちらの線路は内部で2線に分岐していたのですがその箇所も残っていました。



残堀川の手前まで伸びていた当時の線路ですが末端部はご覧の様に整備されており
実際にここに線路が敷かれていた事が判る様になっています。



モニュメントとして整備されていますので説明書きが立っています。



線路が残っている箇所を昔の地図上で記してみました。



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