東海道貨物旧線
今回紹介するのは南武線と連絡する廃線としては有名な路線で、東海道線の川崎駅と南武支線の八丁畷-川崎新町間とを結んでいた
貨物線の跡です。当時は武蔵野線が開通していなく貨物列車は都内を経由してこの路線を通り浜川崎へ入っていました。
地図では川崎駅と浜川崎を結ぶ貨物線がしっかりと描かれています。武蔵野線が開通すると
都内を経由する必要が無くなりそのまま新鶴見操車場へ繋がる路線が構築されこの貨物支線は廃止されてしまいました。
現在の線路跡はそのまま空き地になっている箇所もあり川崎駅側からこの貨物線跡を追いかけてみました。
まずは川崎駅の東海道本線のホームへやってきました。写真は横浜寄りの末端から貨物が分岐していた方面を撮影したものです。
左に2本の留置線が写っていますがその奥に怪しい自転車置き場が。貨物全盛期はここも線路が敷かれていたのでしょう。
川崎を出た貨物線はしばらく東海道線と並走していますが県道140号、通称「市電通り」を超える辺りで別れて行きます。
写真はその市電通りを跨いでいる東海道線ですがその手前に橋桁の跡がしっかりと残っています。写真左が横浜方面です。
こちらは川崎駅側の橋桁跡。両方ともきちんと残っています。
写真中央に建つマンションは廃線跡に建てられた為に緩いカーブを描いています。
マンションの裏手に周ります。中央の空き地部分が廃線跡です。ここは当時の雰囲気が良く残っています。
そのまま浜川崎方面に歩いていきます。写真の道路の右は公園になっておりこの中に線路がありました。
線路は手前から奥の草の中を通っていました。この先にはすぐ京急線が通っているために貨物線は高架で跨いでいました。
その為の橋台がこの先に残っています。写真の道を右折する際は踏切だったと予想されますがすぐ高架になる感じでしょうか。
上で説明している橋桁です。そのままの形で放置されている様です。
京急八丁畷駅前から川崎駅方を見た所です。煉瓦が残っていますがここが貨物線が京急を超えていた所ですね。
貨物線と京急の交差部分にやってきました。廃止から長い年月が経ってもあまり変化していない様です。
上の場所を180度振り返り浜川崎方面を見た所です。こちらの線路跡は駐輪場になっています。かつては高架橋でこの
道路を超えていた訳です。奥の方に南武支線が見えています。この貨物線は支線の「八丁畷-川崎新町」間で合流です。
自転車駐輪場の片隅に線路があった証拠「エ」マークが奇麗に残っていました。
貨物線と南武支線の合流する直前に残る橋桁。この状態を見ると京急を超してからはここまで高架だったのでしょうか。
合流箇所直前から1つ前の写真の橋桁を見た所です。手前の道路は国道15号です。
さて実際にどの様な合流ポイントになっているのかは歩いていると判りませんので支線に乗車し車内から観察です。
国道15号から川崎新町駅までかなりの距離を歩き八丁畷方面の電車に乗ります。写真は川崎新町→八丁畷間の車窓から
貨物線分岐箇所を撮影した物です。実際の分岐部は草が生い茂っておりはっきりとは判りませんがココが分かれ道であった
事は事実で、右手にちょっとですが橋桁が見えています(○印部)。線路の先に見えている駅は八丁畷駅です。
廃止から永い年月が経過していますが廃線跡を辿るのは難しくはないです。何でも現在の尻手-浜川崎間の支線を廃止し
この貨物線跡を新しい支線にする、という話もある様ですが現実的ではない様です。
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