総武線旧線(物井-佐倉)

総武線の「物井-佐倉」間は現在はほぼ直線ルートで結ばれていますが昭和43年までは
県道70号に沿う形で迂回をしていました。迂回ルートを走っていた当時の総武線は
単線の非電化で気動車が走っていました。寺崎トンネルの開通により新線が出来て複線となり現在に至ります。



1950年当時の佐倉駅と寺崎地区の地図です。線路切り替え前の物です。



佐倉駅へやって来ました。写真は千葉方を向いていますが鉄道用地が右へ大きく広がって行く様子が判ります。
当時は駅も現在程大きくなかったでしょうから地味に右手にカーブをしていた物と思われます。



少し先へ進んだ所です。かなり大きな用地が空いています。現在は特に何にも使われていない様子でした。現在線は奥の架線
の所を走っていますが旧線はこの草むらの一番手前辺りを走っていたのかも知れません。



鉄道用地はここまで。旧線はこの柵を超えて千葉方面に延びていました。



しかし佐倉駅周辺の変貌振りが激しくて当時の原型を残すものはありませんでした。写真の緑のネット部が線路跡です。



寺崎地区に入るといかにも線路があったと言う路盤跡が出てきます。単線・非電化なので狭いです。



草がもの凄いですが線路跡は県道と平行して行きます。一部は車も入れそうな所がありました。



民家の裏手に残る鉄道路盤跡。当然家は廃線跡に建てられた物でしょう。写真の奥が物井方面です。



しかし少し進むと路盤跡も判らない程に草が覆っていて様子を伺い知る事が出来ませんでした。



県道70号を佐倉駅から四街道の方に進んで行くと右手にカーブする辺りで1本細い道が左手に入って行きますが
廃線跡は草にうもれた何処かで左にカーブをしているので跡を追うにはこの細い道を入って行く事になります。



細い路地に入ってみると古い枕木を再利用した物が見られました。



正面の民家の蔦の付いているネット部分から手前に線路は延びていた様です。



上の写真を撮影した位置から180度振り返って千葉(物井)方面を撮った物です。この地点は廃線部分の丁度
半分程の位置になりここから物井側の合流地点まではほぼ線路跡を確認する事が出来ます。



旧線路跡は少し高い築堤を走っていました。ここからは一直線に物井を目指します。はるか左に現在線が見えます。



当時のバラストがそのまま残っている個所がありました。この先で急に道が下に落ちる形で無くなってしまいます。
一度来た道を戻り奥の方に残っている築堤へ行ってみる事にします。



再び線路跡が出て来るのですがこの数百メートルの路盤が無くなった個所には当時「鹿島川橋梁」があった為で
その撤去と共にこの部分が空いてしまっている訳です。どうも川の流れが当時と今とでは変わっている様です。



しかし「鹿島川橋梁」の物井側には見事な煉瓦作りの橋台が残っていました。



ぐるりと回ってみると何やら立て看板があります。詳しい内容はコチラへ。



煉瓦作りの橋台を渡った線路跡は再び草むらの中から民家の敷地とも思える所を走り再び一般道へ顔を出す
のは現在線との合流地点近くになります。左は現在線で旧路盤跡がまっすぐに延びているのが判ります。



合流地点のすぐ手前まで来た所で発見。当時のガーダーが草の中に埋もれる様に残っていました。



線路移設後しばらく経ってからの佐倉駅の航空写真ですが本線に合わせて旧路線跡もまだ確認出来ます。佐倉機関区も懐かしいです。
この頃は駅の南側は畑しか無く北口の方が賑わいを見せているのがはっきりと判りますね。




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