日本製粉・三菱化工・昭和電工川崎事業所専用線
神奈川県を走る鶴見線は工場地帯を走る路線故に専用線を多く分岐していましたが
今ではほぼ壊滅状態となっています。この項においては支線である「大川支線」の大川駅
周辺にスポットを当てて記載したいと思います。廃線ページのトップでは訪問時期が2005年と
なっていますが廃止前と廃止後に何度も足を運んでいますので写真の年代はバラけますが
初回訪問時の2005年と掲載させています(判りやすくする為に撮影年度を記載させておきます)。
この項で紹介している路線のマップです。他にも気になる線路があります。
■日本製粉専用線■
支線の終点である大川駅を更に海方面に進んだ所にある「日本製粉」へ続いていた線路です。
この線は小麦粉を東北方面へ発送していましたが1997年にトラック輸送へのシフトの為に廃止されています。
武蔵白石方から見た大川駅と奥に聳える「日本製粉」の工場(2005年撮影)。
大川駅前で3本になった線路は2本に集約されています。昔の航空写真になんかを見ると
目の前の壁から先ですぐ右へ分岐して行く線路が確認できます(2005年撮影)。
2015年現在も線路は残っており末端部分も変化ありませんが後述する「昭和電工」への
専用線廃止により大川支線の貨物が全滅した為なのか雑草がもの凄い事になっていました(2015年撮影)。
この専用線末端にある模型の様なJR貨物の建物ですが取り壊されていました(2005年撮影)。
現在の様子です。綺麗さっぱりです。
■昭和電工川崎事業所専用線■
この専用線は大川支線に最期まで残った路線でした。黄色いタンカーを手押しで押し込むと言う
面白い入れ替えが見られたのも特徴でしたが2008年に廃止された様です。鶴見線の終点「扇町駅」
に隣接している昭和電工から大川までディーゼル機関車による運行でした。
この路線は大川駅を少し進んだ先からスイッチバックして行く形で配線されていました。
日本製粉専用線が無くなった為に線路有効長が極端に短くなり2両程度の運行でした(2005年撮影)。
大川駅の横を専用線は通っていました。入れ替えの様子も駅のホームから良く見えたのでしょう(2005年撮影)。
ホーム側より昭和電工方を望遠圧縮撮影(2005年撮影)。
まだ現役の頃の昭和電工川崎事業所専用線(2005年撮影)。
そして廃止後。線路の一部はコンクリで埋められ黒いゲートはバリゲードされてしまいました(2015年撮影)。
駅構内へ続く線路は残っていますがご覧の荒れ地となっています(2015年撮影)。
■三菱化工機専用線■
こちらの専用線は大川駅手前から分岐していた三菱化工機川崎製作所への専用線です。
この路線についてはあまり資料が無い為に何時廃止になり何を主としていた路線なのかも不透明です。
ただこうして線路が残っていると言う事はかつて何かを運んでいた「専用線」である事は間違いなさそうです。
駅横に有る「日本ガラス踏切」より駅と専用線の位置関係を写してみたものです。
右の扉前の○印が線路跡なのですがこれだと踏切の途中から分岐しないと駄目ですね(2005年撮影)。
扉前から線路方を撮影したもの。10年経過してもココは何も変化していませんでした(2015年撮影)。
鉄道門から見るこの景色は好み。機関車の入れ替えなんかがあれば冴えるでしょう(2015年撮影)。
この扉が開かれるかどうかは判りませんが直ぐ裏は駐車場になっている様で隙間から車が見えます。
航空写真では建物裏まで線路が残っているのも確認出来ます。で、ちょっとご免なさいの1枚(2015年撮影)。
■三和倉庫川崎事業所専用線■
現在は安善駅から分岐している大川支線ですが単行クモハ12が走っていた頃は武蔵白石駅から
の分岐でした。その武蔵白石駅から大川へ向かうカーブを曲がった先から左へ分岐する
専用線があり、それが三和倉庫川崎事業所への専用線ですが些細は不明です。
大川支線です。画面左が大川駅と言う構図です。
架線奥辺りから手前へと線路が延びていました(2015年撮影)。
写真の黒フェンス右側の柵が線路跡そのままのカーブを描きながら奥へ続いています(2015年撮影)。
専門書籍にあった写真をスキャンしてみました。武蔵白石のカーブを行く鶴見線。
線路が3本敷かれていますが手前側が倉庫へ延びていた線路なのでしょうか。
廃線へ戻る