在日米軍相模総合補給廠引込線

私の通学していた高校は八王子にあり友人には町田に住んでいる奴も多くいて八王子から国鉄電車で淵野辺へ良く行っていました。
当時の横浜線は103系天国で八王子から橋本迄はまだ単線で「八王子みなみ野駅」はありませんでした。相原駅北側のトンネルは単線なのに何故か2つあって
1つには線路が敷かれていませんでした。103系は緑(ウグイス)が主色でしたが時折5色混合なんかで入線してきて楽しめたのも思い出です。

そんな横浜線に乗って淵野辺に行っていましたが矢部駅から淵野辺駅の本線に沿って草に埋もれる線路が平行していたのを
今も良く覚えています。当時から線路の上は花壇状態で民家の裏の「軒先き」と言う雰囲気がプンプンしていました。
そんな矢部駅周辺の「廃線」を探りに行ってきました。高校時代から○○年、駅周辺はマンションが多く建っていて驚きました。



線路が写っている地図を見てみると矢部方面から本線と平行して来た線路は相模原駅手前より
本線を離れて米軍施設内へ入っているのが判ります。その後2線に別れて奥へ延びている様ですが
スイッチバックする形で施設北部にも線路が続いており面白い様に枝分かれしているのが判ります。



矢部と淵野辺の中間にかかる陸橋の上より淵野辺駅方向を見た所です。奥に広いスペースが見られますが
これはかつてのヤード跡。淵野辺駅は昭和50年代まで貨物輸送もしておりここから専用線は始っています。



1枚目の場所を振り返り矢部駅側を見た所です。写真右にグリーンベルトがありますが廃線が眠っています。



ズームをしてみると線路が顔を出している所があります。昔は全体的に線路が見えたと記憶していますが撤去された
箇所があるのかどうかは不明です。撮影した日は夏場でしたので草が相当生えており下に線路があるかは判りません。



矢部駅横の踏切りより淵野辺方を撮影。専用線は本線と序所に距離をあけながらも平行して敷かれており、矢部駅近辺では一段
下がった状態で線路が敷かれていました。よってこの写真ではちょっと線路を確認するのが難しいです。



数カ所線路を確認出来る場所があるので望遠で切り抜いてみました。民家と民家の間のスペースに線路が残ります。



矢部駅横の踏切りです。引込線はここら辺りから本線と離れて行く事になるのですが左の冊を覗くと・・・



こんな悲しい状態になっている引込線の廃線跡。右手に写っている線路は横浜線の本線です。



本線と分離した引込線はこの駐輪場になってしまった場所を通っていました。ここから先は整備されていて線路跡はありません。



この専用線の本名は「在日米軍相模総合補給廠引込線」と言い軍の部品を搬入する等に使用されていた線路です。
現在もアメリカ軍の戦車など補修する施設なんかがあるそうです。写真は駅から施設内を見ていますが右は貨物ホーム跡でしょうか?。



駅を出て米軍施設に沿って裏手へ廻ります。道路に光る2本の鉄の棒を発見しました。これは淵野辺からの
専用線が米軍施設に入り施設内でスイッチバックした線路が一般道を渡っていた踏切の遺跡です。



これは当時の様子を写した航空写真です。中央の白い○印は上の写真の場所になります。



マンションの裏手に廻るとこんな空き地に出ますが恐らく線路跡でしょう。跡地に何か出来る予感が。



更に進んで行くと長い花壇にぶつかります。ここから再び線路が顔を出します。



下に線路がちょっとだけ見えています。この花壇は100m程の長さをもっています。



ちょっと中に立ち入ってみると・・・線路はしっかりと残っており施設の北を目指しています。



なんと踏切り(??)発見。



線路はここから再び米軍施設の中へと入って行きます。廃線跡もここまでの様です。



かつて線路が敷かれていたであろう路盤跡。施設内の線路は貨物廃止と共にすぐ撤去されてしまったのかも知れませんが
施設の外にはかろうじて線路跡が残っていました。高校時代に「デジカメ」なる物があれば記録していたかも知れません。




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