横田基地専用線(1)

> JR拝島駅から1本の線路が非電化で分岐していますがこれは在日米軍横田基地へのジェット燃料輸送の専用線です。
鶴見線の安善駅から拝島駅まで機関車に牽かれてやってきた後、拝島から基地内まではディーゼル
に付け替えて燃料を引き込んでいます。厚木基地の専用線無き現在日本唯一の基地引き込み線として生きている所です。
そんな拝島駅から基地までの線路を辿ってみました。写真は計3回通った時の物と横田基地友好祭時の物とが混ざっています。



基地への専用線は現役の為に最新マップにも路線が書き込まれています。
地図に書き込んである「熊谷倉庫専用線」は下に記しています。



拝島の名物「日本一長い踏切」の倉庫前踏み切りへやってきました。こちらは南側で基地への分岐は
一番北側からとなるので渡ります。駅に自由通路が完成したらこの踏切は無くなると言う噂もあります。
*噂通りこの踏切は2009年5月末で廃止されてしまいました。



踏切を渡り終えようかと言う場所で拝島駅方向を写してみました。一番右にフェンスが写っていてその中に架線柱
がありますがこれは西武拝島線。写真すぐ右に錆びた感じの線路がありますがこれが基地への専用線です。



西武鉄道と平面交差をして基地へ入って行きます。



専用線は拝島駅の手前から角度を北へ変えて曲がっていきます。西武鉄道からは専用線を確認出来ますが
JR線の車内からではこの線の分岐は見えない様になっています。植え込みに英語表記が出てきました。



横田1号踏切から分岐方向を望んだところです。西武線の他に201系が見えています。



同じく1号踏切から基地方面を見た所です。廃線では無いので奇麗な物です。



2号踏切より基地方面を撮影した所。周辺機器にも英語表記が並んでます。



こちらは3号踏切、1号、2号と比べてかなり小さい感じがします。



この家の立地なかなかの物です。奥が基地になります。



横田4号踏切から基地方面を撮影した物。左側にちょっと気になるスペースが・・・。これは「熊川倉庫専用線」
の分岐部分で元々はそちらがこの線のメインで、基地専用線の方が後から分岐して施設されています。写真奥の
茶色の家の左側を線路は走り五日市街道を超えて現在の教習所辺りにあった倉庫(米軍施設)へ続いていました。



1950年代の地図では熊川倉庫専用線のみの記載で横田基地そのものが存在していません。



線路は真っすぐと延びて「砂川街道踏切」を渡ります。ここの交通量はかなりの物で
踏切に捕まると結構な渋滞をする事になってしまいます。ここから基地まではあと数百メートルです。



五日市街道を渡った線路は近くのボウリング場の駐車場裏を走って行きます。ここら辺は完全に
人っ気が無く普段から静かなところです。見える踏切は遮断機もありません。



JR貨物の踏切「横田6号踏切」。1つ前の砂川街道踏切は実質5号踏切といった所でしょうか。
左奥の建物は自動車教習所の事務所、かつて分岐していた「熊川倉庫線」の終点があった方です。



その踏切に立ち基地入り口部分を撮影。左手には民家、右はボウリング場の駐車場です。



ゲート部のクローズアップ。汽車の運行が無い時はこうして頑丈に閉じられています。
中はもう米軍施設。このゲートはいわゆる「国境」なのです。



後ろを振り向くと一般の人が線路を歩いていました。廃線では無いけれど滅多に
汽車が走らない専用線ではこう言うのもありなのだろうか?。いや、駄目なんだろう。



ちょっと基地内を覗いてみると中にも踏切があり日本語表記で「横田7号踏切」と書かれていました。



基地の内部にはタンカーが連なって見えています。黒タキは重圧感があり個人的に好みです。


ここから先の撮影は1年に一度開かれる横田基地のフェスティバルの時に撮影した物です。このフェスティバル
では普段は入れないエアベース内の一部が一般公開されこの専用線の一部も見る事が出来るのです。



1段上の写真でタキが停泊しているスペースから少しだけ進み線路は90度北に方角を変えて一直線上に延びています。
更に滑走路正面程で再び角度を変えてこの写真の様に手前に迫ってきます。
*現在は線路が撤去されてしまい何も残っていません。



踏切(名称は不明)を超えた所で線路は2本に分岐します。分岐後にはゲートがあり基地内の人も勝手には
入れないみたいです。線路がグニャグニャといます。ここまで貨物の入線があったのはいつ頃迄なのでしょうか。
*現在は線路が撤去されてしまい何も残っていません。



最終的な線路の末端部分に来ました。拝島駅から延びた線路はここで終わりです。
*現在は線路が撤去されてしまい何も残っていません。




廃線へ戻る機関車走行時の様子