御陵線について

現在、北野から高尾山口まで「高尾線」が走っていますがこの内の北野から山田までの間は「御陵線」 の一部をそのまま
引き継いだ形で利用しています。そもそも御陵線は昭和6年に大正天皇陵への旅客目的で全長6.4Kmという短線で施設された路線でした。
当時は約11分間で北野-御陵前を走っていたみたいですが戦争の影響もあり昭和20年の1月には休線扱いとなってしまいます。
戦争後、路線はしばらく放置状態が続いていたみたいですが高尾山への登山客やめじろ台の住宅の進展により山田-御陵前を廃線にして
山田-高尾山口を新設し高尾線を作ったのです。

昭和6年3月に御陵線が開通した当時の京王線の「沿線案内」が本に載っていたので見てみて下さい。山田から横山駅を経由
し御陵前となっています。この御陵線の廃線跡をたどるのはちと時間か経ちすぎてますが今現在も御陵線当時の橋脚2脚が民家の庭に
ドンと残っています(*下写真)。北野駅から山田駅までは御陵線当時のままのルートが使われているという事ですが気になる記事を発見しました。
 高尾線が国道16号と平面クロスするガーダー橋の下り線には「昭和5年横川橋染製作所」というプレートが現在でも残っているとの事です。



御陵線が開通した当時の沿線案内



今も残る御陵線の橋桁。八王子市横山にて(2005年4月撮影)

この写真は当時の御陵線が横山駅を出て浅川を渡り終わった地点に現在も残る橋桁です。確認した時点では
2脚が当時のまま残っていました。ほとんど民家の庭の様な所に申し訳なさそうに残っており何故取り壊さなかったのかが不思議です。


武蔵中央電気軌道について皇室車両御陵前駅写真




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