調布〜仙川廃線跡を探る(2)

京王電車の旧軌道跡を辿る2回目です。前記では仙川駅の先から分岐して旧金子駅があった甲州街道上までを見てみました。
この部分は旧軌道跡が道路となっているので当時の面影を「なんとなく」想像出来ますがそれより西の調布駅まではほとんど
軌道跡と判る物がありません。まぁ大正時代の話しなので当然でしょうか。下は使い廻しですが当時の路線表です。



そんな旧軌道跡ですがいくつかに「ココに電車が走っていたんだよ」と示すポイントがありますのでココではそれだけを簡単に紹介させて頂きます。



上は調布第七中学校に建つもので表面には「京王電車ここを通る」と書かれています。裏面には「京王電気軌道 軌道敷跡」と書かれています。



こちらも軌道跡を示している物です。しかし「北浦」なんて停留所は聞いた事がありません。実際にそんな停留所が存在していたのでしょうか?。
旧駅の場所を現在地に変換して記載させているのがとても親切ですね。ただ「金子停留所もあったハズ」なんて書き方をしている所を見ると
この看板自体の信頼性もいかがな物かとおもったり(笑)。さてこの「北浦停留所」ですが「旧国領停留所」の事を指しています。
当時の国領駅があった場所は地元の人々から土地を譲って貰って出来た駅なのですが京王が駅名を「国領」にしようとした事に地元住民が
反対し「北浦」と名付ける様に抗議し一時期の間「北浦」となった様です。甲州街道の南側に線路を移設した際に名前も「国領」に
戻っています。右手の石碑も同じ場所にありますがとても小さいので見落としてしまいそうです。右写真のみ拡大写真を用意いたしました。



最期にコイツです。上の左写真の看板ではいかにも「国領駅」と「北浦駅」が別々で2コある様に思ってしまいますがこれを見ると
「国領停留所=北浦停留所」で間違い無い様です。しかしここに駅があったとは思えない程に変貌してしまっています。軌道跡などまるでないし
辺りは緑は残っているものの住宅地ばかりで昔に電車が走っていた事など想像が出来ません。この標識も民家と駐車場の間の小さなスペースに
立っているだけなので地元の人以外は目が行かないのではないでしょうか。写真には写っていませんが横には説明文が記載されていました。以下の通りです。

ここは京王線が大正2年4月15日、笹塚-調布市間で運転を開始したとき地元民の用地提供によって設置された停留所の跡地である。
当時の京王線は仙川駅の西方から現在の滝坂に沿って坂を下り甲州街道の路面を通り西つつじヶ丘3丁目西端で甲州街道の北側に入
り当地を経由、国領1丁目西で甲州街道を横切り調布駅の東側で現路線に接続していた。その後、昭和2年12月、滝坂の急坂と
道路併用を改良する為に甲州街道の南側に線路が移設されたのに伴って廃止された。




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