京王電車と府中駅



2016年の夏休み期間を利用し府中市郷土の森博物館に於いて「京王電車の開通と府中駅」というイベントを行っている為
に休みの日を利用してみてきました。200円の入場料だけしかかからない上に歴史も勉強出来るという物です(笑)。
ちょうど府中駅が誕生して100周年なんですね、メモリアルって訳です。



会場内はホールの一角が京王スペースになっており府中市の歴史から京王電車が開通するまでの流れが
資料と一緒に展示されています。右は昭和時代の前面展望風景をエンドレスに再生させているモニター。

府中は甲州街道に宿場を持ち「府中宿」と呼ばれかなり賑やかだったといいます。
明治5年に「宿駅制度」が廃止され人や馬を手配する「陸運会社」が全国各地に作られたそうです。
明治22年には甲武鉄道(現:中央本線)が開通し国分寺駅が出来て人の流れが府中→国分寺へと変わってゆきます。
当時は府中から国分寺へ出るのには人力車か馬車しか無く府中と国分寺を結ぶ鉄道も計画されます。
京王線は大正2年に「笹塚〜調布」間が先行開業していて府中まで繋がったのは大正5年10/31の事です。
この開通時は単線での営業ですが7年後の大正12年には調布〜府中間は複線化される事になります。



明治時代の予定路線図ですが「府中〜国分寺」間にも鉄道の計画があったのがわかります。

一方府中から八王子間は「玉南鉄道」という別の会社が電車を営業しており府中駅は京王と玉南との乗換駅
であった訳です。この博物館の資料においても玉南に関する資料が多く驚きました。



上のガラス張りの中には「玉南鉄道創立委員の当選通知書」とか「玉南鉄道株式会社設立の礼状」なんてのも
あったりします。盃は「会社設立記念の銀盃」だそうで底に南、それを囲う様に玉と描かれています。



また、明治40年に免許を得た京王電車の最初のルート案は甲州街道(現:旧甲州街道)上でした。
しかし明治44年の時点では既にこのルートは廃案されています。このまま計画通りに進んでいたら街も変化していたかも。
計画線上にある「2」の甲州街道上をいく区間の名残が右の踏切なのかもしれません。

また府中市にある京王線の駅の古い写真も展示されていましたっけ。



中河原は大正14年開業、昭和49年に高架駅へなりますがそれ以前は写真の様な地上駅で多摩川の砂利採取線
の貨物側線をもっていました。聖蹟桜ヶ丘〜中河原の複線化の際に使用された渡り線がしばらく残っていたのも新しい記憶。
分倍河原は旧駅名を屋敷分といい中河原同様大正14年に開業。当時の駅は今よりも府中方に有りましたが南武線の開業に
合わせて昭和4年に今の位置へ移動しています。この駅は現在もJR職員の居ないJRの駅だったりします(完全委託)。



東府中は臨時競馬場前駅という名で開業し後に八幡前と合併。詳しくはコチラに。多磨霊園駅はドーム型の駅舎が有名でした。
開業は大正5年。競馬場駅は昭和30年開業、写真は開業5年後の様子だけれど閑散としてる所は今も同じか。

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開通時の府中駅構内の図面と停車場平面図。
左写真の左に縦に並ぶ線は大国魂神社の用地と国分寺街道。つまり今のケヤキ並木って事ですね。
これを見ると右側が新宿でしょうか(クリックで拡大)。資料によると車庫は実際には作られなかった様です。

ところで府中駅は京王の府中駅でもありますが玉南の府中駅でもあった訳です。京王は路面乗り入れ計画があった故に
1,372mmという軌間ですが玉南電鉄は1,067mmで開業したので「直通運転」が出来なかったんですね。
この両会社の駅舎がどの様に建てられていたのかも館内では説明書きがなされており興味深かったです。
玉南鉄道府中駅の模型も図面を元に模型化され展示されており見ごたえもあります。


博物館内はその他に記念切符が並べられていたりグリーン車時代のサボがあったり。
ゆっくり見ても30分程度、子供相手のイベントという訳では無いので静かで落ち着いて鑑賞できました。




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