日本セメント埼玉工場専用線

埼玉県日高市にある「太平洋セメント」への引き込み線はコチラに記している様に八高・川越線の高麗川駅
から北上して進入する路線が平成11年まで運行されていましたが実は工場の北部を走る東武鉄道から南下する
形でも引き込み線が存在していました。コチラは"西大家貨物線"と言われ東武越生線の「西大家〜一本松」間
にあった「西大家信号場」から分岐し同工場へと続く全線電化の貨物線でした。

関越自動車道の真上を横切る廃線として有名だった「秩父鉱業東松山採掘場」(現在横切る橋は撤去済)から採取
した粘土を埼玉工場へ入れ、完成品を板橋の包装場へ搬出するのが主たる目的の路線でした。
開通は昭和38年と古く廃止になったのは昭和59年の様です。では西大家駅側から調査をしていきます。



1970年の地図上では専用線は現役の為にきちんと記載されています。。



西大家〜一本松間にあった「西大家信号場」跡に来てみました【A地点】。構内の様子がなんとなく
判る程度に開けています。写真奥が坂戸方面です。結構広いスペースであった様です。



構内の跡地には変電所がドスンと構えています。



振り返ると30年近く経過した廃線状態が。と言っても放置ではない様です。



一応私有地である事の主張か木製の柵で囲われていますがベンチが置かれていたりと。



踏切があったのでしょう。遮断機の土台が残っている所が多かったです。
ただ位置を考えると遮断機の奥に道路がある事になるので廃線後に変化したのだと思われます。



コチラも同ポジションにあった物。踏切に良くあるやつですね。



敷地脇にひっそりと残る境界石扇マークに"S"は浅野セメントのSでしょうか。



続く線路跡。空き地には廃車体なんかもゴロゴロと。奥の方に日高工場が見えている。



信号場から1Km程来たところ。ちょっと線路跡とは判りにくくなっていますが踏切跡が確認できます。



真っすぐと続く線路跡。突き当たりには石井ウッドと言う会社が有り線路跡もその会社の敷地内の様になって
しまっており車での突破は出来ませんでした。またその先も会社の私有地や工事中だったりで断念。
尚、現役当時は盛土で線路があった箇所が現在は道路に転用されており当時の面影は「0」でした。



突如盛土区間が出現するのはもぅ埼玉工場近くになってからです。【B地点】



左の道路は橋で超えてその先は盛土の上を線路が進んでいたのでしょう。画像右が工場です。



となれば登ってみるしか有りません。途切れた先端に立ち西大家駅方面を望みます。



コチラは工場方。何やらパイプ類が線路跡に張られています。下から見た時は架線柱の様に見えましたが
コンクリート製である事から当時モノでは無いと思いますが確かではありません。この幅は単線ですね。



盛土が複線用地になった辺りで念願の線路とご対面です。感謝感激。
左側に聳える竹も線路現役使用時は無かったのでしょう。成長し竹林を形成しています。



しばらく進むと更に広くなり奥にもう1本の線路が見えました。1つ上の写真の線路は
パイプの左にある線路へと続いています。操業時ココには何線の線路があったのでしょうか?。



奥の線路はこの様に車輪止めが付いています。良い錆具合です。



途中にポイントなんかも有りそのまま。コレは当時からこう言う配線であったのではないでしょうか?。



雨の日も雪の日も。何年動かされていないのでしょうか。



開けた先には再び樹が生い茂っている。奥にもぅ1つ転轍機が見えています。



金網手前まで来ました。奥の転轍機はコレだったのですがココから右へ転線と言うにはスペース
が無い様な・・・。そしてこの先は流石に企業の私有地と言う雰囲気がプンプンするので諦めます。



柵の外から中を1枚。線路はここからは無いようです。この先を右に曲がると直ぐに
太平洋セメント埼玉工場が現れます。高麗川方からの線路と接続していたのかなど興味が湧きます。




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