日鉄鉱業羽鶴線跡(1)
東武佐野線の終点「葛生(くずう)駅」はかつて貨物の発着で賑わう大きな駅でした。かつてはこの葛生駅から「会沢貨物線」と
「大叶線」・「日鉄鉱業羽鶴線」という3本もの貨物線が繋がっていたからです。しかし1986年に貨物扱いが中止され路線も廃線に
なってしまいました。今回訪問した「日鉄鉱業羽鶴専用線」はこの3本の路線の中でも一番距離が長い路線になっています。
開業は昭和26年で石炭輸送を目的に施設された専用線です。かつて国鉄時代の蒸気機関車が走っていたそうです。
1975年当時の東武葛生駅周辺です。貨物駅に多くの車両が見えています。
東武佐野線の終点でもある葛生駅へ行ってみました。木造の田舎駅です。
時刻表。お世辞にも本数が多いとは言えません。
入線して来た普通電車。後ろにはヤード跡が残っていますが線路は取り払われています。
葛生駅ホームより佐野方面を撮影。最盛期は貨物19番線まであったとの事です。
上写真と同じポジションからカメラを廃線側に向けたところ。ヤードは広大、ホームは長く、線路には保線車両がポツリ。
奥に延びている線路は1本に纏められプッツリと途切れてしまいます。
ここらか廃線の始まりです。線路はありませんが架線柱が残ります。
バラストもそのままの状態で残っています。なのでとても歩きづらいです。
しばらく行くと1本の留置線が一段高い所に設けられていました。この中も線路はありません。
その先には腕木式信号機が当時のまま放置されていました。いい味が出ています。
枠の中はその信号機を操作するコテまで延びていたワイヤーの滑車です。
先ほどの留置線と合わせて複線となり線路跡は更に奥に進んでいきます。
右に見える工場は「住友大阪セメント栃木工場」で、ここにも線路が延びていました。
線路が分岐して広くなった所で道路を超えますが普通に鉄橋が撤去されていました。
この写真を見ても判りますがワゴンも走れない程天井が低いです。かつては道路がトンネル状だったのでしょう。
ココは貨物専用駅の「上白石駅」跡です。右手に分岐している架線柱は住友セメントへの跡です。
住友セメントへ続いていた線路跡はそのまま残っており写真の工場入口の前でバッタリと途切れています。
工場の入口から線路跡を見たところ。かつては何線もの線路が奥に延びていた事でしょう。
上白石駅跡の中にはホームがポツリと残されていました。
住友セメントへの線路を横目にひたすら日鉄鉱業を目指す羽鶴線跡。
少し奥に行くと写真の様な道路を超えます。かつて踏切があったのは手前にある制御機(?)で判ります。
その制御機(枠写真)には会沢線を示す「会」の文字が書かれています。道路はセメント工場前と同じ道です。
踏切を超えてすぐの写真です。右奥の○印に鉄道標識が残っています。何故畑の中に鉄道標識が?
と思いましたがここは会沢線と日鉄鉱業羽鶴線との分岐部の様です。会沢線はここから右手に進んでいました。
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